前投稿の続。
【言葉になる前の自分を感じることがなぜ?始まりを感じることがなぜ自己認識を変える?」
言葉になる前の自分を感じること。それは、自分を定義する前の状態に戻ることだ。私たちは、自分のことを言葉で理解している。「私はこういう人間だ」と、言葉で枠を作る。でも、その枠は、過去の経験や誰かの評価によって作られたものだ。その枠が、自分を縛っている。
自己認識の多くは、無意識領域にある。普段は意識していないけれど、行動や選択の根底に存在している。気づかないまま、その自己認識に従って生きている。だからこそ、無意識にある自己認識を感じることが変わるための鍵になる。
感覚は、言葉よりも前にある。思考が生まれる前の、もっと原始的な自分だ。感覚を感じることは、その枠の外に触れること。つまり、自分を定義する前の自分に戻ることだ。その状態で感じたものは、言葉に縛られていない。だから、新しい認識が入ってくる余地が生まれる。
──では、なぜ「始まり」を感じることが自己認識を変えるのか。
ひとつの自己認識は、いくつもの始まりから作られる
例えば、誰かに「あなたはいつも遅刻する人だ」と言われたとする。その言葉を何度も聞くうちに、「自分は遅刻する人間だ」という認識ができる。でも、最初に遅刻した瞬間には、まだその言葉はなかった。ただ「やってしまった」という感覚があった。その感覚が、周りの言葉や解釈を経て、認識になった。そしてその認識は無意識に根付き、行動を縛るようになる。
私自身の例で言えば、父が自死したとき、私は父を救えなかった。死に方は否定し隠さなければならない。
その感覚が、時間とともにいくつもの認識に変わっていった。「父を否定したくないのに、それを感じる生き方」。「救えなかった自分は、父のようにお金で苦しめられなければならない」。「助けてもらえないと感じる人生を生きなければならない」。──それらの認識は、すべて一つの始まりから生まれている。そして無意識に、私の行動や選択を制限してきた。
ではなぜ始まりを感じると、自己認識が変わるのか
始まりの感覚には、まだ言葉がない。言葉がないから、自分を縛る枠もない。その状態で感覚を感じきると、後から作られた自己認識というラベルがただの後付けだったとわかる。
私の場合、「救えなかった自分は父のように苦しめられなければならない人生」という認識がある。
でも、最初の瞬間には、まだその言葉はなかった。ただ「救えなかった」という無力感と「どうして」という悔しさがあった。その感覚が、時間とともに認識に変わった。始まりの感覚に戻るとは、その無力感と悔しさを感じることだ。後から貼られたラベルを手放して、最初の感覚に戻る。
「始まりを感じることで変わること」
始まりの感覚を感じきると、後から作られた認識が手放される。その空いた場所に、新しい自己認識が入ってくる。「救えなかった自分は苦しめられなければならない」が手放されると、「救えなかった事実は変わらないが、今の私は救うことを選べる」という新しい認識が入る。
父を救えなかったからこそ、今度は誰かを救う側に立つことができる。その選択が、新しい自分を作る。
自己認識は変えられる。"始まりの感覚"を感じることで変えられる。言葉になる前の自分に戻ることで、言葉に縛られない自分に出会う。その出会いが、無意識にある自己認識を変えることができるのである。