2011年の3月11日に、ドイツ人のインマー先生のマスタークラスを受講することになってて、
そのとき種田先生はインマー先生の通訳をする予定だった。
2011年の2月3日に種田先生が亡くなり、
かわりに奥様のルート夫人が通訳しに来てくれた。
この日は私はリストの"大ソナタ"を受講した。
種田先生に、最後に出された課題の曲。
種田先生の最後のレッスンは2011年の1月の半ばだったんだけど、
最後のレッスンのときに、新曲課題を2曲言われてた。その二曲の楽譜をレッスン帰りに池袋のヤマハに買いに行ったのを覚えてる。
で、その課題の曲が、リストの大ソナタと
ラフマニノフのピアノ協奏曲3番。
種田先生と一緒に勉強するはずだった曲たち。
一緒に勉強する前から、種田先生は私に
「この新曲2つは、難曲だけどあなたなら必ず弾ける。」
って言ってくれた。
ラフマニノフの方は
"これまで勉強したピアノ協奏曲の曲の中で10倍難しいんだよ。"
って。
こう私に、
最後の最後まで
私という存在を肯定してくれる言葉が、
私への遺言になった。
一気にリストの方を譜読みして、
インマー先生のレッスンに持ってったんだ。
そして通訳にきてくれた久しぶりのルート夫人。
"もういやだ。こんな現実"
って
種田先生が亡くなってから、
毎日毎日思って過ごして
2011年の3月11日に再会した。
種田先生がICUにいるときに
私とルート夫人は、毎日連絡をし合っていた。
2011年1月後半から、種田先生は入院してて。
そのICUで、
種田先生が意識が少しあったときに、
最後にルート夫人が種田先生に聞かせたCDは、エレーヌ・グリモーのリストの大ソナタが収録されたCDだった。
種田先生もルート夫人も、エレーヌ・グリモーが好きで、ほんとは夫婦でエレーヌの演奏会に行く予定のときに種田先生は入院してしまったから、ルート夫人が1人でエレーヌさんの演奏会に行き、そのCDを購入してきたのだ。
そのリストの大ソナタの演奏をCDで聴いた種田先生は「素晴らしい。何も言うことがない。」
ってひとこと言ったみたいで。
それで私は、
ルート夫人からそのことを聞いた。
そして、
「エレーヌ・グリモーのCDを聴いてリストの大ソナタを勉強するべきよ。主人の、遺言です。」
と言われたのだ。
種田先生が、
この世で最後に聞いたのはリストの大ソナタ。
私が、遺言で出された最後の課題の曲だった。
私はルート夫人に渡されたCDを聴いた。
そのエレーヌ・グリモーのリストの大ソナタの演奏は、
素晴らしい内容の演奏だった。
2011年3月11日のマスタークラスは、
種田先生が亡くなってから、
私は、10キロ痩せてしまった状態だった。
思うようにピアノの音色がコントロール出来ない。
スランプだった。
そんななかでも
インマー先生にレッスンをしてもらい、
アドバイスをもらった。
"しっくりこない"
自分の演奏も
指導してもらっても
"気に喰わない"
そんな感じだった。
心境はあまり良くない最悪なマスタークラスだった。
私の
次の受講生が弾き始めて5分後、
地震が発生した。
東日本大震災。
私は、帰宅難民になり、
その夜、
ルート夫人に、泊めてもらえることになった。
ご飯を作ってくれたり、
お風呂を貸してくれたり、
ルート夫人と布団を並べて寝た。
種田先生の話を、
ずっと2人でしてた。
次の日も、
電車が動く夕方まで、
種田先生の昔のアルバムを見してもらったり、
たくさんたくさん種田先生の話を聞かせてもらった。
泊まった夜、種田先生の部屋から物音がした。
ルート夫人は「主人がさわいでるよ」って言った。
種田先生の家に
久しぶりに来れた私は、
ホッと出来てた。
毎日のように、レッスンで種田先生の家にきていたから、
すごく懐かしく嬉しく感じてもいた。
その10年前の3月11日は、
父が亡くなった日。
父の命日でもある日だった。
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