1 種田先生のことを書いてみた | 猿腕&スワンネック変形指&不気味な形の爪のPIANIST NAMUKAのBLOG

猿腕&スワンネック変形指&不気味な形の爪のPIANIST NAMUKAのBLOG

インフルエンサーなどに楽曲や耳コピピアノアレンジを提供(HAPPYちゃん他) 耳コピアレンジやオリジナルピアノ楽曲をスワンネック変形指&猿腕ピアニストとして弾く。フジコヘミング氏のリハーサルピアニストや、漁師ピアニストの徳永さんにラカンパネラを指導。

2月3日は、種田先生の命日。

2011年に亡くなりました。

もうだから8年目です。




私にとって
すごくすごく尊敬していて
教えを求めぬいた師匠。



謙虚の天才だったし、
やさしくて、厳しくて、指導はこまっっかくて丁寧で、
心が大きな人でした





私は、本物の演奏をできるようになりたいって強く思った時があって




そんなとき、ほんとたまたま種田先生のレッスンを受ける機会がありました





長年、自分のなかで解決できない悩みがあったのですが


それを種田先生はなんと初回のレッスンのときに解消してくれたんです



ほんとうにほんとうに
感動でした




"長年の悩みを一瞬で解決してくれた。



この人タダモノじゃない。"



そんな思いから





「種田先生から演奏を、音楽を学びぬきたい」




この強い決意が生まれたんです



種田先生の弟子にさせていただくまでに
他の先生たちと揉め事も起こったりして
決して簡単なことではなかったんです


でも私の心は揺るがなかったし
あきらめなかった。


「絶対、種田先生に、思いきり学ぶ」


攻められたり、悲しい出来事もあったけど
弟子になることができた







ちょうどそれは私の父が亡くなった3日後のこと。

急な父の死。
父は44歳でした。
父は疲れたのだろう。私たち家族みんな疲れていた。(母はその翌月、癌に。)










「私があなたの父のようになります」




種田先生のこの言葉とともに


理路整然としたピアノの学びの日々が始まった。






私の演奏や人間性の欠点から私のあらゆる能力や感覚、感性、私という人格を見抜き、
初歩的な基礎力を上げることからさせられた。



楽しいだけじゃ出来ない厳しさと
音の捉え方の果てしなさに

ドン底の心境になってしまったこともたくさんあった。



でも、
ステージやコンクールで頑張って演奏を勉強し、
また壁にぶつかり、また演奏と勉強をしてきた。


この修行僧のような日々。

うれしい結果を出せたコンクールもあれば
悔しくて絶望あふれたコンクールもあるし



レッスンは、週に7回のときもあった



レッスンの無い日も個人練習ちゃんとしてるかどうか電話がきた。



遊ぶ時間を作らないように、恋愛をしないように、
決まり事もたくさんあった



でもわからずやな性分の私。



反抗もたくさんした

 
ワガママいっぱいで、
レッスン開始時間に起床とか


ひどいありさまの日もザラにあった






親以上に叱られたし

親以上に親と感じることもたくさんあった





レッスンも無断で行かないときもあったしたくさんワガママ言って物を投げつけたこともあった






そんなの出来ないよ!私にはそこまで能力ない!








自分が1番自分を信じていなかった。





過剰な種田先生からの謎の期待





うれしいけど苦しい






私は荒れた










逃げて








妊娠。





留学は辞退。





コンクールも辞退。







種田先生が考えてくれてた未来プランを






めちゃくちゃにした。






怒られた。







でも、

妊娠したときにする検査で
腎臓が悪いことを教えてくれたお腹の赤ちゃんは、命の恩人。



妊娠しなければ、しなかったであろう検査。

慢性腎炎が悪化してた。このまま治療せず今の食生活だと50歳で死ぬと医者に言われた。


妊娠がわかりそれが発覚。

私は恩人を宿してる。


産むことを決めた。




こんな私に

その後も

しつこく連絡しまくってくれた種田先生。





産むことを決めた私を許してくれた。



産んでからは、
種田先生に、懺悔の想いでレッスンに通うことを決め、レッスンに通った。



なぜだか産んでからのほうが

ピアノに熱が入った


生後2ヶ月目から



おんぶ紐にベビーカーにミルク持って大量の楽譜持って通った

片道3時間。


きつかった。


でも、懺悔と恩返しがしたかった


私は反省していたんだとおもう

産んでからも
赤ちゃんと一緒に
多い時は週2〜3で通ってた

「産んでからのほうが
人間性が良くなった」


こう言われてた



「2人目は作らないようにね」


これも言われた





最期のレッスンの日は



最初で最後の、拍手喝采と感動をしてくれた




「素晴らしいね〜!」


と、拍手しながら言ってくれた





嬉しかった






先生との思い出は
ありすぎるし
先生のこと尊敬してるけど大嫌いなときもあったし



いなくなったら絶対にダメな存在でした







ICUにいるときに

先生の奥様からは毎日連絡がきていて

病状も状況も毎日聞いてたし

それって生きてるっていう連絡だったし


絶対に回復するって信じていました




人はいずれ死にます






種田先生は、世界中の演奏家を育て

あふれんばかりの思いやりぶかさ、

ウワベの人は見抜き

真の眼をもっていた
生き字引のような人でした

そしてあたりまえですが






世界一のピアニストで指導者でした