私たちピーペックでは、「患者」ではなく、
「病気をもつ人」を用いています。
その理由は2つあります。
まず、「患者」という言葉を使わない理由ですが、
人は「患者」と言われた瞬間に
「病気を最優先にした生き方をしなければいけない」
「病気を中心として人生を送らなければいけない」
といった大きな価値観の枠に閉じ込められてしまい、
実は何かしらの工夫をしたり、協働することで、
諦めなくて良いことまで諦めてしまうことが多々あるように思うのです。
(もちろん救命を最優先とする場面は除きます)
そのような理由から
「患者」という、言ってみれば
強い「負」のパワーをももたらす言葉を使用していません。
そして後半の「もつ」ですが、
「向き合う」などの表現は、
そこに価値判断が入り込む余地があり、
その人の病気との位置関係を定義してしまう のではないでしょうか。
病気をもっているだけで「向き合っている」つもりも
「戦っている」つもりも「ともに生きている」つもりもない人も
たくさんいると思います。
そうした人たちも排除しない
ニュートラルな表現として「もつ」を用いているのです。
「病気をもつ人」を用いています。
その理由は2つあります。
まず、「患者」という言葉を使わない理由ですが、
人は「患者」と言われた瞬間に
「病気を最優先にした生き方をしなければいけない」
「病気を中心として人生を送らなければいけない」
といった大きな価値観の枠に閉じ込められてしまい、
実は何かしらの工夫をしたり、協働することで、
諦めなくて良いことまで諦めてしまうことが多々あるように思うのです。
(もちろん救命を最優先とする場面は除きます)
そのような理由から
「患者」という、言ってみれば
強い「負」のパワーをももたらす言葉を使用していません。
そして後半の「もつ」ですが、
「向き合う」などの表現は、
そこに価値判断が入り込む余地があり、
その人の病気との位置関係を定義してしまう のではないでしょうか。
病気をもっているだけで「向き合っている」つもりも
「戦っている」つもりも「ともに生きている」つもりもない人も
たくさんいると思います。
そうした人たちも排除しない
ニュートラルな表現として「もつ」を用いているのです。