先日朝日新聞デジタルに掲載された
頭木弘樹さんの記事を読まれた方もいるかと思います。
頭木さんご自身難病をおもちなのですが、
「つらい経験だったけど、成長できてよかった」
「病気のおかげで、本当の幸福に気づいた」
と、
重い病気や大変な経験をした人たちは、
似たような「語り」をする傾向にあり、
背景にある、病人や個人に加わる“圧力”を
指摘することがある。と書いてありました。
★「病気のおかげで」は本当? 「立ち直りの物語」を求める心理の正体(朝日新聞)(※全文を読むには会員登録が必要です)
とても考えさせられました。

私も無意識のうちにそう思われるような
ことをしたことがあるのではないかと。
病気の経験の捉え方、向き合い方は,
あくまでパーソナルなことであり、
誰かに強制されたりするものではありませんよね。
病気の経験を通して、
「つらい経験だったけど、成長できてよかった」
「病気のおかげで、本当の幸福に気づいた」
と思うことはもちろん自由ですし、
誰に批評されるものではありません。
ただ、人に押し付けるようなことをしない。
そして、個人的に言われていなくても、
そのような発信を見かけた時は、
受け手側として、その思いはあくまでその人個人の思い
であるということを前提に受け取り、
自分と重ねたり比較しないことが
大事なことなのではないかと思いました。
(2023年9月22日配信 じんラボメルマガ「所長通信」より一部改変)
頭木弘樹さんの記事を読まれた方もいるかと思います。
頭木さんご自身難病をおもちなのですが、
「つらい経験だったけど、成長できてよかった」
「病気のおかげで、本当の幸福に気づいた」
と、
重い病気や大変な経験をした人たちは、
似たような「語り」をする傾向にあり、
背景にある、病人や個人に加わる“圧力”を
指摘することがある。と書いてありました。
★「病気のおかげで」は本当? 「立ち直りの物語」を求める心理の正体(朝日新聞)(※全文を読むには会員登録が必要です)
とても考えさせられました。

私も無意識のうちにそう思われるような
ことをしたことがあるのではないかと。
病気の経験の捉え方、向き合い方は,
あくまでパーソナルなことであり、
誰かに強制されたりするものではありませんよね。
病気の経験を通して、
「つらい経験だったけど、成長できてよかった」
「病気のおかげで、本当の幸福に気づいた」
と思うことはもちろん自由ですし、
誰に批評されるものではありません。
ただ、人に押し付けるようなことをしない。
そして、個人的に言われていなくても、
そのような発信を見かけた時は、
受け手側として、その思いはあくまでその人個人の思い
であるということを前提に受け取り、
自分と重ねたり比較しないことが
大事なことなのではないかと思いました。
(2023年9月22日配信 じんラボメルマガ「所長通信」より一部改変)