よく私たちは会話の中で、
「普通は…だよね」
と、当たり前のように「普通」という言葉を使っていますが、

誰もが一度は、
「そういえば『普通』っていったい何だろう?」
と考えたことがあるのではないでしょうか?

この記事を読んでとても考えさせられました。

「私には私のフツウがあるんだから!」
“しゃべらない”生徒を描いた漫画、沁みました!(YAHOO!ニュース)

そういえば、親から昔
「みんな〇〇しているのだから、あなたもそうしなさい!」
と叱られ、子ども心になんだか納得いかない気持ちを抱いたこと、

また、逆に病気によってみんなが出来ていて、
自分だけが出来ない状況に陥った時には、

「みんなは普通に出来ているのに自分にはできない…」

と自分の中で決めつけた「普通」に悩んでいた頃もありました。

最近、「ダイバーシティ」とか「インクルージョン」
とかいう言葉をやたらと目にする機会が増えました。

色々な取り組みをしていく中で、
カタカナ言葉が頻繁に使われるようになる状況は
逆に気を付けなければいけないのではないかと思っています。

「仏作って魂入れず」ではありませんが、
言葉だけが一人歩きして、
その言葉を使うことが流行りのようになってしまう恐れがあるからです。

「普通」という言葉も便利な言葉です。

「普通」という言葉が思考停止を招き、
異なる思いや状況にいる方を排除することに
繋がる恐れもあるのではないでしょうか。


日常何気なく使っている言葉も
振り返ってみることの大切さを最近とても強く感じています。

(2022年1月15日にnoteに書いたものです。)