言語は人の能力の特徴であり、日常的に使われているとても便利な機能ですが、色々と不思議に思うことがあります。昨日までのブログは下の記事をご参照下さい。

 

言語の生成文法理論について

言語の木構造について

 

言語学など言語について研究する学問がある中で、言語について様々な形で分析や研究が進んでいると思いますが、それでも分からないことがたくさんあります。

 

例えば、以下のような文を見てみると、

 

(1)車が来るときは注意しましょう。

(2)車の来るときは注意しましょう。

 

日本人であれば、どちらも意味は同じだと思いますが、「が」と「の」が違います。

 

(3)映画が見たい。

(4)映画を見たい。

 

これもどちらも同じ意味だと分かりますが、「が」「を」が違います。

 

これを日本語が母語ではない外国人の人が観ると、分からなくなると思いますが、日本人であれば意味について言えばそれほど気にならないと思います。

 

さて、この違い、つまり使い分けはどうなっているのでしょうか。実際には微妙に意味合いが異なるような気もしますが、専門家でもないとなかなか説明できないですし、特に使い分けなど気にせずに話したり、読んだりしているのではないでしょうか。

 

このような特徴は世界のどの言語にも共通して存在し、言語が単に学習によって獲得するのではなく、生まれながらに人が言語の元となる何らかの機能を持っていると考える(生成文法理論)根拠の一つのようです。

 

言われてみればですが、確かに不思議です。