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スペースmassa

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今日の中日春秋に浅草観音の四万六千日様の落語語りから、猛暑に男性も日傘を…とまだ早すぎる暑い異常気温に注意を促していた。四万六千日様を知らなかったのでネットで見ると、7月の縁日参りが人の寿命の限界46000日分(126年)の功徳があるということらしい。コラム筆者の多彩な視点に感心しながらこのブログを書いている。

 

人に読んでもらえるコラムやエッセイを書くコツを教えられたような気がする。

 

来月初めにこのコラム筆者の講演を聞けるので、いっそう楽しみが深くなる。

 

少ない知識の中でも、せいっぱいがんばってこのブログを書きたいものである。

 

と、言うは易いが簡単でないことだけはよく分る。少しでも努力しよう。

 

 

 
 


 

「もちろん本人です」とはっきり言っても通用しない、「免許証か保険証を見せてください」とその本人に提示を求める。重要な契約お書や照明事項など特に権利関係の当事者は署名と実印を押し印鑑証明をつけることになる。本人の顔や言葉では本人の証明にならない社会である。コンピュータ・SNSALの近代社会で本人の認証方法が旧態依然の方法でしか通用しないのか。せめて手をかざした指紋で即座に認証できないものかと考え込んでしまう。

 

TOKYO2020のチケット予約サイトの難しさにも手を焼いた。ここでも本人確認にはIDPSで寸分の間違いも高齢者だからと、大目に許して認証することはない。

 

本人がパソコンの前で本人をIDPSで懸命に打ち込む姿、これが最先端のAI

 

社会であることはなにかマンガのようでもある。

 

米寿の本人が、このことを発言するのも、ことばでなくキーボードをぽつぽつ叩いて無言である。

 
 


 

あと十里で目的の百里に到着する、このときの気持はどう持つべきか。

 

まだ十里あると思うか、もう十里しか無いと思うか、それともこれから十里はこれまで来た九十里と同じくらいきついと考えるか。

 

格言は「百里を行く者は九十を半ばとす」と教える。そのくらいの気持でないと進めないほどゴールまじかの道のりは厳しいと理解すべきだろう。

 

42.195キロのマラソンも最後の4.2㌔がしかり、エベレストの登頂アタックもまた同じだろう。

 

振り返って人生は、どう考えればいいか。百歳の坂を越えるには九十歳を半分と考えて、百歳までの十年を生き抜く努力が必要ということになる。

 

私はつい先日まで、米寿からは第3の人生で気ままにのんびり暮らそうと思っていた。

 

ふと目についたこの格言「百里を行く者は九十を半ばとす」で目からうろこが落ちる心境に変った。今から二年後、九十歳になるまでに何とか心の切り替えができるようにしたい。

 
 


 

東三河の水源である宇連ダムの貯水率が、1パーセント切って枯渇状態になったとTVのニュースがながれた。矢作川水系や木曽川水系と違って、毎年のように取水制限を繰り返す豊川水系だが、今年はごく早い時期に枯渇するのは上流のは降雨不足か。

 

佐久間ダムからのもらい水にたよる豊川水系のダム不足を早急に解消することがだろう。その対応としての設楽ダム建設は着想から数十年、反対運動などで進まなかった。

 

いまは建設省の工事事務所が分流工事に取り掛かったのだろうか。建設工事が始まっても完成には十年近くかかるかも知れない。まだまだ東三河の水不足はつづく、数十年ぶりに早い時期ののダム干あがりに打つ手はないから雨を待つのみか。

 

渥美半島の野菜や花が首を長くして、豊川用水を勢いよく流れる水を待っている。

 

 

 

 

 
 


 

声が若いとか姿勢が良いとかときどき言われる。それは齢より若く見える、ということのようだ。たしかに声に力が無くなって、前かがみで肩をすくめる姿勢をすると老人の

 

典型的な姿になる。鏡に映ると一目りょう然であるが、鏡を意識しなくなると自分では気がつかない。認知症も自分では分らない、姿勢と違って鏡もない。

 

若く見られてよろこんだり、老化を指摘されて不快な思いや怒りを感じるのも、まだ認知症ではない証拠だと思えば悪くない。むしろ感謝すべきかもしれないが、高齢になるとどうも素直さが消えるようだ。そのかわりというわけでもないが、笑顔を忘れないことが大事だ。できれば小さな物事にも大きく感動をして反応することが、老け込むことを減速してくれるように思う。

 

こう考えると、米寿も楽しくなる。希望も湧いてくるような気分になるから有り難い。

 

 

 

 

 
 

 

朝から大雨になった、南から太平洋岸一帯を湿った暖かい空気がどっと入り込んだためらしい。10時過ぎだったが、突然ドカッと爆弾でも落ちたような雷が二回来た。ゴロゴロもなし二回だけだったが、珍しい雷に異常気象の先触れかと思うほどであった。

 

そういえば昨日は夏日で今日は10度近く気温も下がった。

 

数日前に東南海地震帯の南端である宮崎沖で震度4の地震も発生した。大地震の前兆でないことを祈るしかどうすることもできない。

 

災害の多かった平成から静かで安全な令和になってほしい、と願うのは日米・日中の貿易交渉や北朝鮮やイランの核ミサイル問題がエスカレートしない願いとも重なる。

 

静かな初夏の足音を聞きたい。

 
 


 

「夏も近づく八十八夜…」の八十八夜は10日前だった、今年は裏の山がいつもと違う。

 

季語の山笑うもひと月おくれだが、いままさに裏の山が違っている。

 

今年は山の新緑に光るような白黄色の大きなかたまりがかぶさっている。あざやかだ。

 

椎若葉というのだろうと、自分で思い込んで楽しんでいる。

 

間違っていてもいい、「九十八夜の椎若葉」としておこう。

 

山里に住む人間の特権ではないか、都会ではそそり立つビルのガラスがきらりと光っているだろう。椎若葉の山肌を切り取って、ビルにはりつけてみたいと考えてしまう。

 

あのトランプ大統領が見たらなんというだろうか?

 

 

 
 

 

昨日、福岡の表千家同門会の全国茶会へでかけた妻を名古屋まで送った。その後久しぶりに一杯飲んで帰ったが、今日は朝から誰とも合わないし顔も見ない。終日家で引きこもっているがテレビ相手のたいくつな空気に包まれている。

 

福岡ではまだ夕食会が終わらないようで、電話も入らない。32で広島を追う中日の攻撃を見ているがどうも気合が入らない。同時にいつもの緊張感も抜けている、やはり「なにしてるの」の声が流れないと勝手が違う。

 

独り暮らしの自由を楽しむ機会だが、どうもうまく対応できないもどかしさがある。

 

孤独のなとり暮らしだけはしたくないと、水割りを追加しながら思いが巡る…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 


 

皇位継承の儀も無事終わり令和の時代がスタートした。

 

平成生まれの若い世代の活躍する時代には違いないが、昭和一けた生まれの高齢者にとっても心が引き締まる改元でもある。

 

昭和平成に続いて第三の人生の幕開けだと自分に言い聞かせると、なだらかな細い一本道が見えてくる。今は深い霧がかかり遠くははっきり見えないが、なだらかな小道が一本伸びている。今日からこの道をひたすら歩いて進むことになる。一年後には待ち続けてきた東京オリンピックの灯りがはっきり見える。その先六年後には二度目の大阪万博の灯りも何とか見える。さらに数年後の先にあるはずのリニア新幹線東京名古屋間開通の灯りらしきものもかすかに見える。そこまで歩きづけると白寿近くなるだろう、そのあたりはもう銀河鉄道の旅立ちになるかも知れない。行く先はオリオン座の三ツ星のはるか先おうし座の昴である。「銀河鉄道の夜」のジョバンニと会うかもしれない…。

 

 

 
 

 

天皇退位と新元号令和で皇太子の測位が行われる10連休、政治までも連休かと思われるほどだ。安倍総理ひとりが各国を飛び回って最後にトランプ大統領とゴルフ外交までこなしている。令和になってはじめての国賓としてトランプ大統領に訪日してもらう。

 

大相撲まで観戦するという大統領に、関税交渉も手を打つ覚悟を伝えたのだろうか。野党各党も10連休で、何も発信しないのも淋しい。

 

北朝鮮とロシアと中国は休みなく精力的に外交で働いている。

 

せめて10連休明けには与野党一体となって、日本の外交・経済に筋を通してあげあしの取り合いでなく歩調を合わせて頑張ってもらいたい。