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いよいよ超高齢者にちかづく、あと二年で90歳。

 

完全な超高齢の暮らしに入ることになる、何よりも身体健康が 基礎であるが、大事な芯柱ともいうべきくらしの充実感をしっかり作らなければならない。

 

古来五重塔の芯柱や、最新のスカイツリーにも巨大なコンクリート芯柱が中心に立っている。大地震の強震に揺れを吸収する芯柱の役割りは、巨大地震から構造物の倒壊を防ぐ。超高齢者も社会的・地域的活動交流が無くなり、家庭と言っても老夫婦か独居になる。社会的変化も人的交流も希薄無縁になっていく。この暮らしに生き甲斐を持つためにはどうすればいいか、その答えの一つが「こころの芯柱」を絶てることではないか。

 

具体的には「暮らしの充実感」を見出し持ち続けることである。

 

充実感は?と言えば、「感動」であろう。大自然と日々の出来事・ニュース・話題に感動を求めることでもあろう。小さなことに大きく感動することも大事だと思う。

 

 

 

 

 
 

 

昨夜1022分、突然テレビの画面が新潟・山形の日本海にM6.8の地震発生をつげる。津波1㍍の発生も。震度6強の激震も。まさに突如で予報は待ち論ない。

 

地震予知は全く機能しないのだろう、地震学者もしゃべらない。

 

いずれ東海・東南海の巨大地震が来るとは言うが、学者も来てみなければわからないとも言わないだんまりだ。長年の地震予知研究は8年前の東北大地震と巨大津波で、根底から崩れ去ったのだろうか。不気味でも如何ともしようがないから、ある日突然の襲来を待つより仕方ない。いやそのほうが良いのかもしれないと諦めるべきか。

 

今朝7時、Mさんから『今日の草刈りに…』とこれも突然の電話がきた。ずいぶん前にちらっとは聞いたが、あらためて連絡がることと思い込んでいた。したがって自分にとっては青天のへきれきだった。それでも何とか参加できた。

 

毎年この時期に農業用のため池の草刈りが行われるが、当日が寺の行事と重なるため関係者4人が事前に草刈りをする。

 

近ごろ齢のせいかこの手の突然が多くなってきた、これも予知不可能の地震みたいなものである。その都度できる範囲の対応をしていくよりしかたない。

 

天災も超高齢化も避ける方法がないことを認めざるを得ない。

 
 


 

連日のように高齢者のアクセル・ブレーキの踏み間違え事故が、TVや新聞で大きく取り上げられる。一方高齢者には地域暮らしの大事な足でもある。買い物や医者通いは高齢になるほどきつくなる。自転車は転倒しやすいし体力がいる、タクシーはもったいないこともあるが不便でもある。かといって核家族のために子供や孫にも頼めない。

 

結局は気をつけて、気をつけて、ゆっくり、よく見て走ることになる。

 

しかし事故は突然起きる、悲しいかなとっさのブレーキ・ハンドルを若いときのようにはできない。ハットびっくりして気が転倒し、その瞬間に車は衝突する。

 

正常な高齢者が異常な操作による痛ましい事故を起こす。

 

だから早く免許を返納せよとは言わぬが、報道の仕方は返納をなぜしなかったと思わせる。

 

 せめて報道も「免許返納」でなく「免許返上」と言い換えてもらえないかと思う。

 

高齢者は「汚名返上」の気持になりやすいかもしれないが…。

 
 

 

事情が変って行動半径を縮小することを真剣に考えて3日目になる。

 

名古屋へ行く日を今月から2日増やす予定でいたが、今日取り消した。

 

事は書道教室のことで、かなり迷っての結果だから今日取り消しの連絡をしてすっきりしたが一抹の失望感も残る。しかし齢を考えると行動半径の縮小は天命でもある。

 

天の声には素直に従ったほうが無難でもある。この半径縮小には実距離だけでなく、こころがまえの縮小が大きい。すっきり決めたとは言えないが、心の拡張半径を広げ過ぎた反省は正しいと納得した。さて、この狭くなる半径をできるだけ広くつかうことも考えねばならない。あわてずゆっくり時間をかけて切り替えようと思う。

 

ただ前へ進むことを忘れてはいけない、時間に後戻りはないのだから…。

 
 

 

四行の文章を書きました。

 

「猫がまた屋根の上にいます」

 

「どうして上がったの?」

 

「ある日、遂にわかりました」

 

「裏の柿の木からとび下りました」と。

 

これで起承転結の作文です、12行の起・承につづいて3行目の転がきます。

 

4行目がほっとするオチの結です。

 

この小文ではなかなかうまく書けませんが、意識して書きたいと思います。

 

私の人生も同じです。

 

「昭和の前半が起で、後半が承です。

 

第二の人生だった平成が、転でした。

 

いま令和のはじめに米寿を迎えて、いよいよ結に向かいます」

 

この結は第3の人生だと思っていますが、いいオチが見えません。

 

あわてずゆっくり、なるべく長い時間をかけて書き上げたいと思います。

 

 

 
 

 

書くことは記録ではなく、話すことでありたい。話す相手はもちろん他者で、相対する人であるが不特定多数と考えることが基本である。もちろん特定の個人や複数の他者と関わる会話が話すことだが、この場合は書くことが伴わない。ただ録音や速記で内容を記録することはあっても、これは書くこととは言えない。

 

ところが書くことは記録性もあるが、ねらいは他者の読んでもらい理解と共感を期待することである。内容が分りやすく興味や関心をもってもらえることでもある。ときには反対の意見表明をされることもあるだろうが、いずれにしても書いたものを見て、読んで、考えてもらえる文章でなくては書く意味がない。

 

見やすく・読みやすく・分りやすい文章でなければ、他者は関心をもつてもらえない。

 

こう書くことは簡単だが、この文章がそうなっていないことを自認して先ず自分から始めたい。読んでもらえるように…。

 
 

 

愛知県の森林公園で行われた第70回全国植樹祭のTV実況、天皇后両陛下がおそろいでお手植と種まきをされた。終始満面の笑みをたたえてはなやかで品格のある薄緑のネクタイとスーツのお姿に感動をした。

 

地元愛知と全国から参加した関係者1万人余の人たちからも、感動の様子が映像を通じてしっかり伝わった。皇位継承が令和の元号のごとく見事に新しい日本の姿を輝かせているようであた。両陛下の弥栄を心から祈念も仕上げたい素晴らしい植樹祭だった。

 

ふりかえって超高齢へ向かう自分も、心して気持ちをリフレッシュしたいと感じた。

 

明日からいっそう元気に明るく笑顔で暮らして、花も実もある古木でありたい。

 
 

 

88歳の誕生日の翌月の初日に高齢者叙勲の受賞者が新聞の一隅に小さく窮屈そうに並ぶ。長年公共に尽くして米寿を迎えた人に春秋の叙勲とは別に毎月該当者に授与される。

 

公務員や校長、保護司などから選定される。春秋の叙勲には漏れたが、88才まで長生きしたことへの褒美とも言える、寿叙勲とも言われるようだ。

 

その叙勲で、はからずも今日の新聞に自分の名前が載った。今日まで元気に暮らしてきたお蔭で、ひとえに苦労をかけた妻のおかげでもある。7月の伝達式には妻と二人で出席したいと願っている。

 

昔の上司から早速祝電をいただき当時のことを静かに振り返ってなつかしい一日だった。これを機会にいっそう丈夫で元気に暮らし続けたい。当時お世話になった各位に心から感謝とお礼をもうしあげたい。

 
 


 

令和に入って1か月、あまり抵抗なくすっきりと気持ちの転換もできた。

 

日米の関税交渉も山場を迎えようとし、日ロの平和条約も立場を譲らぬままになんらかの接点を探り愛している。この米.ロとの交渉もいわば梅雨入りのような進み方をするような気がする。夏日を迎える前の通過点と言うこともできる。

 

いずれにしても両者とも一歩踏み込まなければ、明るい夏日に移れないことは確かだ。

 

大局的な外交交渉で、後退でなく前進することが双方のウインウインだと考えたい。

 

トランプ外交とプーチン外交に安倍外交がどうかみ合うか、先ずは歯車をしっかりかみ合わせることをめざしたい。それが外交の梅雨入りではないかと思う。

 
 

 

おもわず身ぶるいするようなニュースである。あの恐ろしいエボラウイルスの病原体を輸入して研究するという。先進的な医療の研究には本物のウイルスが必要なことは分るが、国立の感染病原菌機関で厳重極まる管理のもとなら理解をすべきかもしれない。

 

が、仮に流失すれば完全な絶滅は不可能となるだろう、福島第1原発事故のように想定外の事故発生を防げるか。国民の安全保障と医学研究の重要性との比較の問題ともなろう。この問題こそ国会で徹底に議論し、国民の理解を得てはじめるべきだと思うが議員各位の対応が無いのはなぜだろう。失言辞職の桜田前法相がまた「子を3人は生むように…」発言が議会で問題化されはじめた。エボラウイルス輸入とは?」のほうが優先されるべきだと思うが、そうならない国会も不思議な所だと思う。