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日本人が減少の下り坂へ突き進んでいく。国の統計で今年1月1日現在の総人口が前年比37万人減少し、1億2520万人になった。その3割が東京圏に集中しているのは、交通と通信技術の高度・高速化によるのではないか。国家の機能が地方分権どころかますます東京圏に集中する。地方は山紫水明自然豊かな過疎化に進まざるを得ないでは、30年後に総人口が1億を割ることとあいまって地方衰退が加速度的に進むのではないか。

 

人口の高齢化率が進むのも出生率の低下と高齢化によるが、自分のことになると健康寿命を延ばそうと努力する。人生100年時代と大手を振っているわけにもいかない気がするが…。

 

 

 
 


 

名古屋場所4日目、白鵬がけがで突然の休場に追い込まれた。昨日までは元気だったが分らないものだ。一人横綱となった鶴竜が勢に簡単に押しだされた、またまた波乱の名古屋場所となりそうだ。新大関の栃の心は力強い相撲で好調のようだ、優勝すれば来場所は綱取りに挑戦するかも知れない。激動の相撲界は白鵬の時代が終わって乱世がつづくなかで、新しい主役が生まれることを期待したい。思い切った若返りが必要だろう、それでもひいきの遠藤だけは地道に頑張ってほしい。岡目八目の勝手な見方だが、栃の心についてはかなり本筋の気がする。名古屋場所を盛り上げるヒーローになってほしい。

 

 

 
 


 

今朝自転車でごみ出しに行った帰り、ふといつも眺める東南の山と青空にはっきりと生気を感じた。生きている充実感と言ってもいい、さわやかな生きる力が湧いてくるように見慣れた風景が映った。こんな経験は初めてであるが、不思議な一瞬でもあった。

 

心と身体の状態によって見えたのか、だとすれば常に生気を意識して暮らしたい。

 

次はどこで、何に、どのような生きる力を感じるか、できれば花鳥風月の自然に求めたい。

 

平凡な暮らしの中に「光」がさしてくるかもしれないから。

 
 


 

西日本に大きな被害をもたらした記録的豪雨もやっと終わって、東海地方も梅雨明けになった。広島東部、岡山など大規模な土砂崩れと河川の堤防決壊で二階のまで激流が入る。

 

道路も家も土砂が積もって手のつけようbがない状態の映像は被災者に恐怖と放心をもたらす。自衛隊の大量動員で集中救助をしなければ一歩も進まないようだ。

 

政府一体となって救助と応急復旧にあたらなければ、県や市町村、まして個人でできることは全く無力である。

 

台風シーズンを控えてさらに被害をこうむることの無いよう祈るしかない。

 

他の自治体や国のイベントなどの自粛もしなければならないだろう。

 
 


 

あと3年で90歳の坂を超えることになるが、どうやら自力で元気に超えられそうな気がしてきた。85歳の坂を超えたときは95歳の坂越えは無理だろうと割り切っていたが、3年後の90歳の坂越えに現実味が強くなるとまた欲が出る。95歳の坂も何とか自力で超えたい、あわよくば100歳の坂までたどり着きたいと…。

 

人の生への執着がその終点は見たくも思いたくもない、そんな勝手で身の程を知らぬ欲を起こすのだろうか。いやそれは個人の生き方ではないか、ぴんぴんころりでいつ死んでもいいと考えるのが良いかもしれないが、100歳の坂越えを目標にするのも悪くはない。

 

 

 
 


 

広島東部から岡山を経て今岐阜に大雨と区別警報が出ている。

 

広島安芸や呉、岡山総社など広範囲に水害と土砂崩れを起した、数十年来の集中豪雨が今は岐阜を襲っている。台風や地震と違う水の破壊力のすざましさに背筋が寒くなる思いだ。

 

被災者の方々が自然の脅威に如何に無力化を、テレビの映像が教えてくれる。

 

現地の警察や消防隊では不可能な救出活動も、自衛隊の力強い活動で進むことは被災者にはどんなに力強いことだろう。国民の自然災害を予防する河川・道路・鉄道・土砂崩れに対する防災事業を自衛隊の任務の一つに咥えて欲しいと思う。自衛隊が国民に信頼される大きな力になるのではないか。

 

 

 
 


 

数十年に一度と言われるようなっ豪雨が日本列島を襲っている。

 

各地に大雨特別警報がでて被害が続出している。集中豪の破壊力の大きさに今さらながら」驚くばかりだ。避難指示が広範囲に発せらるなか、生死を分けるのは人智を超えた力も働くと思う。これを運命というか天命というか、はたまた偶然と考えたくなるほど避けがたいものではないか。これが身近な役所の避難勧告や避難指示に対して、先ず自分の判断をベースにして対応することになる。はっきり言えば避難は災害に直面しないと決断ができにくいものではないか。役所も勧告や指示の遅れを被災の原因にされることを避けるため、念のため早めにという気持ちが先行する。

 

災害発生時の住民避難について結果としてマスコミが批判すること自由だが、当事者である役所と住民の判断には結果で最良を求めるのはむずかしい。

 

被災地の安全を祈りたい。

 

 

 
 


 

高齢になるほど足もとが不安定になってくると、視点が定まらずうつむき加減に足元に目を落とすことが多くなる。前方の人や車、障害物もちょくぜにならないと気づかないほど視線が低く近くなる。半年つづける日課のウオーキングでも、この癖が抜けないでビックリすることが多い。幸い田舎道で人も車も少ないので時々驚く程度ですんでいるが、車を運転する人には迷惑至極だろう。視線を高くして広い範囲を見る、要は遠くを見ることが大事だと思う。単なる事物の確認だけではなく、心と気持ちもこの視野・視線と連動している気がする。

 

物を思い考えるときに心を向ける方向や位置も同じで、「高く・広く・遠く」したいものである。ゆとりと臨機応変のダイナミックな暮らしが見えてくるだろう。

 
 


 

まさかの入試汚職に驚いた、ことにあろうも監督官庁の本省局長が、息子の医学部入試に職権乱用で逮捕された。前代未聞のこの事件が解明されるにと教育行政の信用失墜だけに止まらない。入試制度そのものに信頼失墜の致命的影響を与えかねない。入試の公正を信じて若い情熱と心血を注ぐを受験生がどう考えるか。森友学園や加計学園問題で役人の忖度で揺らいだ教育行政に、致命的な追い打ちをかけてしまった。

 

大学という教育最高学府が自ら教育の精神を踏みにじる行為は、さらに受験生や学生の心を

 

踏みにじったと言わざるを得ない。大学と文部省は入試制度の改善に全力を尽くし、教育の信頼をを回復しなけばならない。決して個人の事件で済ませてはならない。

 
 


 

一面と社会面に大きく報じられた桂歌丸師匠の訃報、「座布団一枚」の笑点の名司会で国民的落語家が重い病を押して中部をはなに着けて高座に上がる姿には鬼気迫るものがあった。

 

「楽をするために苦しむ」と頑張ったというが、けだし明言であろう。

 

おなじ社会面の前頁には訃報記事欄に「井出久美子さん」徳川幕府最後の将軍であった慶喜の孫姫「井手久美子さん」95歳で老衰のため死去、近親者の葬儀でお別れ会は未定とある。

 

慶喜の五男慶久侯爵の四女に生まれ95歳、先月自叙伝[徳川おてんば姫]で作家デビューとあった。大見出しの歌麿記事よりもこの小さな訃報記事にひかれた。世が世なら天下の姫君が、大正・昭和・平成のを生き抜いた末の作家デビューが最後の自叙伝とは…。

 

姫様作家の絶筆[徳川おてんば姫]をいずれは読んでみたい、歌丸の苦労と対比的な家族社会の苦悩に触れられるかもしれない。

 

お二人のご冥福を祈りながら…。