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亡くなった樹木希林さんが若い人たちに送った手紙がテレビで紹介された。

 

毛筆で「拝啓○○さんと呼びかけ、自にで言い聞かせるように語りかける。

 

励ましでも忠告でもない、ましてこうあるべきだとは言わない。

 

手紙のなかでニッコリと話しかけるように、自分自身と相手に語ることばを綴る。

 

おわりの署名には朱肉で印まで押してある、わたしはここにいるよと言うように。

 

この手紙を受け取った人は、語りかける希林さんの声を聴き柔らか笑顔を感じるだろう。

 

手紙もメールも相手の声と顔を感じないと単なる文字になってしまう。

 

このブログもつぶやく声を感じてもらえるよう書きたいと思うが難しい。

 

試行錯誤をつづけながら書き続けていきたい。

 
 


 

「前方十年」を生きる目的の焦点を定めておきたいと思う。あと十年生きると言うわけではないが、生き方の焦点をいつも十年先の前方に置くことである。

 

もちろん目先のことや一先のことをおろそかにと言うことでなく、いつも足もとから前方十年先まで心の視線を延ばしていくと言い換えても良い。

 

では命はどこまでかと言えば分らないが、この視線の中へは見えてこない。つまり自分の死は意識できないことだと思う。突然来るか、もうそろそろかとは感じるかもしれないが前方十年の視線の中には見えない。身辺整理とか遺言とかに取り組みにくいのは、「前方十年」

 

のためかもしれない。

 
 


 

今年も元気で月見酒を飲めた、窓辺に家内手づくりのダンゴと花瓶にススキ・萩を入れ月を仰ぐ。冷酒をぐいっと呑む感じは何物にも代えがたい、健康で見る月はやや赤みがかった白銀に輝くような気がする。妻や孫子とともに家族全員が健康で元気に暮らせるようにと祈る。

 

涼しい風に澄んだ虫の声が乗って窓から入ってくる。今夜は国内政治のことや朝鮮半島のことも考えず、はやぶさ2が到達した小惑星りゅうぐうのことでも考え続けよう。

 

名月を通じて、こころが無限に宇宙へ広がっていく…。

 

 

 

 

 
 


 

密閉された箱の中のものは外からは見えず、中に活ければわからない。その密閉された箱の中に居ると外のことは分らない。つまり箱の中と外は完全に別の世界だからお互いが交流することもない。あるとき箱のふたを開けたとする、中と外がつながったが、中からは外が別の世界に見える。外からも仲が別の世界に見える。お互いが理解するためには中からは外に出て、外からは中へ入ってよく見て違いを認めねばならない。場合によっては全く理解できないこともあるだろう。中と外がお互い共通の理解をするためには、お互いに入れかわって

 

見るしかないだろう。物事は見る側の位置や方向、立場などによって全く正反対にもなる。

 

中では正しいことが外では否定されることもある。

 

米中、米朝、米ロ、日中、日朝、日ロなどの国際問題も、この箱の中と外の問題だとも言える。朝鮮半島、南・東シナ海などの紛争も、すべてこの箱の中外の問題だとも言える。

 

民族、政治・経済・文化・社会制度などの違いを越えて強調するためにも、この中と外の

 

違いを認め合わないと争いの無い平和はできない。

 

 

 

 

 

 

 
 


 

昨日から秋の彼岸に入っているが、若い世代との認識のずれは如何ともしがたい。

 

スマホの時代は秋分の日の休日も、彼岸の墓参とは結びつかない人たちが主流になるのだろうか。人の死に対する考え方が全く違う世代間に、亡き親族・先祖を偲ぶ彼岸に対する共通理解は成り立たない。寂しいことだが時代の流れで仕方のないことかもしれないが、昭和前期の世代が彼岸を思う心を否定しないでほしい。人それぞれの生き方の問題には、多様な考え方があることをお互いに受け入れないと協同生活社会は成り立っていかないと思う。

 

古い殻や習慣を捨てることはそう簡単でないことをしみじみ感じる悲願でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 


 

自民党の総裁選は国会議員の8割が支持する中で、石破氏が党員票で45%を獲得した。

 

国会議員の5派閥が支援すると言う圧倒的な優勢の中で、党員票が55%に止まったのは注目すべき結果でもある。国会議員と党員の支持に大きな違いがあるのは、今後の党運営にも

 

注意ランプがついた気がする。党役員人事と内閣改造にその答えが出るだろうが、選挙功労の露骨な人事にならないことを期待したい。3年後の後継総裁への道筋が不安になる総裁選でもあった。党人事と内閣人事に過去最長の総理総裁として国民が尊敬できる体制をつくっていただきたい。

 

 

 
 


 

ピョンヤンへ3日間訪問した文韓国大統領は、金朝鮮労働党委員長と親密な会談を行って

 

合意文書を交換した。この結果を文大統領がトランプ大統領に伝える運びになったようだ。

 

金委員長は文大統領にトランプ大統領あての親書を託したのではないかと思われる。

 

米朝ともに非核化や戦争終結の具体的動きができない、その金縛り状態から一歩抜け出せるかどうかが注目される。米側も中間選挙のテコにしたい非核化であるから、トランプい統領も具体的に対応するかも知れない。年末までには金委員長がソウルを訪問すると言うから、朝鮮半島南北の和平と民族融和の動きが加速されよう。米国と中国が主導権争いをする南北和平と統一への主導権争いが急展開するだろう。

 

日本も拉致問題先行の原則論だけでは、カヤの外へも近づけない、安倍総理も総裁選が終われば日露、日中そして日朝を大胆に動かしてほしいと思う。

 
 


 

時間はもどることも止まることもなく確実に進む、進み方は常に一定で乱れもない。

 

春夏秋冬、昼夜、猛暑の夏も、極寒の夜も、のどかな春先もその進み方は変わらない。

 

天変地変の災害時も時間は巻き込まれることはない。その姿は見えないが確かにある。

 

この時間の中で暮らす人間にも見えないが確かにあるもの、それが心である。

 

どこの在るかと聞かれても本人も分らない、脳の中・心臓の中とはっきりその居場所を言える人は居ない。が、身体を離れて外部にあると思う人もいない。身体のどこに、胸から頭にとか明示できない不思議な存在である。時間と似ているがその動きは過去・現在・未来を気ままに行き来する。心は喜怒哀楽に大きく変動し混乱する、うそつき人をだますこともある。

 

そんな自分の心に言いたいことは、「前進あるのみ」である。直進し続ける時間のように。

 
 


 

今日の祝汁は敬老の日であるが、「敬老」とか「祝日」の意味よりも「自律」を考えたい。

 

同じような「自立」は「他力」に対応し、体力的にも精神的にも自分の力で他者に頼らないことだと思う。がそれだけでは尊敬される高齢者にはなれない気がする。暮らしの欲望や喜怒哀楽を自分の意志でコントロールする力をつけることが『自律』だと考えたい。もちろんやせ我慢や強制でなく、緩やかに自分の心を制御するブレーキと言っても良い。

 

高齢者として社会の一隅を照らすことができれば、「敬老」の日で国民の祭日にしていただく意義があるように思う。

 

自律の小さな灯りでいいから先ず自分の周りから照らしてみよう。

 
 


 

今日はは野菜畑の種まきをする予定だったが、日差しが強くなり何となくおっくうになって

 

肥料購入やお寺の仏飯当番などで半日潰した。あとは夕方のウオーキングを頑張っただけで、稀勢の里や遠藤の情けない負け方に憤慨する一日だった。

 

こういう時は迷わず「ひと息いれて」、明日へくり越すのが上策のようだ。

 

近ごろ予定したことを何とかこなそうと、がたがた動き回ることが少なくなったがやはり歳の所為だろう。夕方テレビが樹木希林の死を報じた。がんとの闘病5年名優の最後は厳しいもので、「ひと息いれて」もできなくさぞ辛いことだったろう。有名人は最後まで働き続ける宿命を負うが、何時でも勝手に「ひと息いれて」暮らせる身の幸せを感謝する。