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イランの石油の石油制裁がはじまった、トランプ大統領の外交と言うより取引の感じが強い。

 

中国との関税問題も、北朝鮮の核廃絶もすべてトランプ龍取引ではないか。

 

極度の経済摩擦ことに封鎖とか孤立化は死活問題になる、かつて日本も経済封鎖を脱するために戦争に突入した。が、いまは核ミサイルの戦争になると人類の破滅に向かう自体となる。

 

経済封鎖も限定的でないと、窮鼠猫をかむことになる。

 

トランプ大統領も選挙が終わったら、取引をやめて時間がかかっても国連を通じた外交にスタンスを換えてほしい。

 

経済戦争外交でなく国連外交の場で関係国が協調することが喫緊の課題となろう。

 
 


 

今日C紙朝刊の「100年を生きる」本の広告が目についた。心臓血管外科医の著作だから納得した。心臓病は「直せば長生きできる、ある程度予見できる」8項目はなるほどと共感したが、「心臓を守る暮らし方」の4項目に注目した。それは「冬の便秘でいきむ、睡眠不足、ドカ食い、前かがみで心臓圧迫」の4項目である。自分男体験からも共感し納得できる。

 

とくに「便秘のいきみと睡眠不足」が心臓を守る大敵だと納得したので座右の銘にして暮らしたい。著者の先生が大写しの写真に思わず『わかりました、ありがとう』と会釈をした。

 人生100年時代への道標かもしれない。
 


 

中日が一位指名しみごと依田新監督が引き当てた根尾選手、一億円で契約したようだ。

 

高校生が一億円とは納得できるようなできないような複雑な気持ちだ。

 

金の卵で即戦力が期待されるから当然のことかもしれないが、負う長島の時代を想うと隔世の感がする。

 

願わくは入団する根尾選手が、中日で大成することを祈りたい。

 

ドラフト対象以外の高校球児にも、その努力精進の実績が社会から評価されることも期待したい。根尾選手もこれら球児の精神的支えになる活動をしてほしいと思う。

 
 

「国家の存立危機には?」新セイシュン日記・スペースmassa(1931年生)

 

安倍内閣と言うより自民党の憲法改正論議が、今国会で一つの焦点になってきた。

 

安倍総理が主張する自衛隊認知のための9条改正がその中心であるが、さらに奥深いのは「緊急事態条項」ではないか。未曽有の大災害や外国の介入による国家権利の維持ができないとき、超法規的に国家主権の行使を政府が行う「緊急事態条項」が明記されることである。

 

とくに外国から突然に「戦争状態」をしかけられたときに、応戦の可否を国会審議や国民投票で議論していることは現実的でない。「緊急事態条項」を憲法に明記し、行政府の責務を明確にすることが、現実的対応ではないか。民主国家、国民主権、立法府である国会の権限などとどう整合させるかが今国会の重要な審議事項ではないか。一大臣の口利き料問題などは司法による審判に任せて、立法府として国家の基本にかかる問題を審議してほしいものである。

 
 


 

人生は人が生きているときのことである、自分も他者も死後に人生は無く意識もできない。

 

言い換えると人生に死は無く、ただ終るまで生き続けるのが人生だ。霊魂が不滅で盂蘭盆会や法要の供養によって、供養する親族のもとへ訪れると仏教は説く。霊魂の有無を論じても次元の違いは如何ともしがたい、つまり確認できない事柄であるから無意味である。祖先・死者を偲ぶ心は生者の供養心であり事象ではない。

 

くりかえして言いたい、人生はいきつづけることであり寿命で、出生後から死の直前までの期間であると。屁理屈のようだが出生前と死後は自分の人生ではない、と考えれば迷いも不安も生じないだろう。

 
 


 

昨日ハロゥーインの群衆が立錐の余地もなく埋まった渋谷、仮面や奇抜なコスプレの若者たちには個性も失った群衆に過ぎない。何の意味があるのだろうと考え込んでしまう。

 

青雲の志高いはずの若者が、と情けなくもなってくる。

 

しっかりした型をもって欲しい、平成が終わりあとで改元される新時代は彼らの双肩にかかっている。平成は見方によっては日本の型が乱れた時代とも言えなくはない。

 

世界も新しい型を生み出すため、大きな変化をし続けている。日本は先進的な型作りにまい進しなければ沈む。しかし若者に言うだけでは年寄りの冷や水になってしまう。

 

まず昭和の初期から平成へと激動の日本を生き抜いた我々高齢者自身が、型を作り直して

 一隅を照らす努力をしなければならないと反省もするハロ
 


 

創造力と情熱と探究心を失ってはならない、生命の続く限りはこの青春のこころを持ち続けなければ老化する。体力の衰えは如何ともしがたいが、こころの衰えは防ぐことができる。

 

サミエル・ウルマンの青春の詩に在る青春の様相で、この三つが一番納得しやすい青春のこころと思う。夢と気合と言ってもいい、毎日新しい命を燃やすことが若さを保つ原動力だと信じたい。不思議と老化や老い先を忘れさせてくれる気がする。

 

ただ病気や怪我で急激に体調が悪くなり、動きづらくなったときに「青春のこころ」をどうしたら持ち続けるか。それが人生最後の試練となる、避けることのできない迷路だろう。

 

 

  
 

 

さすがに秋を感じるようになった、虫の声も何時かすっかり消えている。

 

そろそろ煮みそが懐かしくなる、子どものころは小さい味噌鍋を七輪にかけて自家製の赤みそに野菜や油げ・こんにゃく、卵や肉がチョッピリ入れば豪勢に感じたものだ。

 

寒い台どころで煮みそ鍋を家族で囲む、あつい煮みそをご飯にのせて食べたことがなつかしい。毎年秋から冬にかけて、ときどき煮みそ鍋をつくるがむかしとさまがわり。やさい・肉・あぶらげ・こんにやく・カツをだし・たまご・かまぼこなどに遠慮するよう味噌が入る。

 

ごはんはいつも麦は入らない銀飯である。ときにはバターまで茶碗で混ぜることもある。

 

本当は麦飯に自家製の赤みそをったっぷりつかって、七輪にかけぐつぐつ煮詰めてたべたい。

 

減塩食事に慣れたいまは、むかしばなしになってしまった。

 

それでも毎年楽しみな煮みそである。

 
 


 

憲法改正が議論される国会が始まった。今民放で各党の若手議員が出演して、憲法改正について意見を述べている。発言の中に「国民の声は…」という言葉がでてくる。この議員も国民の声は○○を望んでいないと断定したいのだろう。選挙戦や国会の審議で議員が使う「国民の声」は賛成だとか反対だと断定するのは何を根拠にしているのだろうか。世論調査でも

 

サンプル調査で全員に聞くことはない。まして議員や党の調査による意見集約は、ごく限定した意見聴取ではないか。憲法改正の国民投票でも18歳以上の有権者の有効投票の過半数というだけで投票率の縛りはないようだ。

 

政治家が「国民の声は○○だ」と言う場合は、実数なり対象者と調査結果の数値を示して

 

「国民の声は」と言うべきではないか。」それができなければ、「国民の一部にはこういう意見もある」と正直に言って欲しい。

 
 


 

喜怒哀楽はどこから生じ、どこに在るか。今日はこんなことを考えているが、分らない。

 

頭か胸か、いや腹か。手や足でないことだけはなんとなく納得できる。

 

毎日休むことの無い自分のこころが、どこに在るか分らなくても喜怒哀楽は感じ考える。

 

こころは「いのち」そのものだからから、身体全体だと言えばさらに分らなくなっていく。

 

自分の時間も確かに在るが見えない、つかめない。

 

形あるものを実在、見えないモノを虚とすると、心も命も時間も虚になってしまう。

 

「真実」は見えない虚の中に在る。こう考えるのが良いかもしれない。