[こころの不思議]№175(82歳社会福祉士・スペースmassa風呂敷エッセイ) | スペースmassa

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「こころ」は身体のどこの在るかと考える心があるから分らなくなってくるのが心である。いずれにしても自分の身体の中にあることだけは認めねばならないだろう。胸をたたいてここにあると言いたいが、証明も確認もできない。

脳の中に在るとするのが一番無難かもしれない。

しかしどんな精巧な先端機器を使っても映像化することもできない。

それでも喜怒哀楽の心ははっきり自覚できるし、精神を統一集中して無心になることも可能である。見えなくてある場所もわからなくても、人間は心とともに生き自由に心を使っている。しかしこれは自分の心だけで他人の心にはできないことでもある。家庭も社会も国家もこの不思議な心が動かしている。

中国や韓国の言う歴史認識も、ウクライナの政変も心の仕業である。

心が通じ合うことを絆と言ってもいいだろうが、不思議な心と心の問題を一本の太い絆にすることは実に難しいことである。