葬儀を終えた今だって

祭壇横で回転する灯籠を眺め

お線香の細い煙がのぼって行く先にいる

遺影の父(私が撮った、昨年末の旅行

今となっては一緒に行った最後の旅行で

満面の笑みを浮かべている写真)

に話しかけては、

やる事が一切なれれば私は

1日中この座布団の上に

ボーッと座っていたのではないかと思う。


目まぐるしいほどの量の

家族の死後(それも突然の)にやる事と、

忌引き後ごく普通にくる仕事

という日常がなければ...



考えれば、有難いことだが

私の今までの40年

ここまで哀しみに泣き腫らし

地獄のようにも感じる日々を

送ったことがなかった。


祖母や祖父や愛犬との死別もあった。

その他にもそれなりに

挫折や苛立ちや腹の立つ出来事も

沢山経験してきたつもりだが

甘かった、と言える。


私はずっと温厚な父に

守られてきたのかもしれない。

もう何年も前に珍しく入った占いで

“あなたの近くに信心深い方がいるでしょ?

あなたはその人に守られているのよ”

と言われたことがあった。

ピンときたのは、年に何回もお墓参りに行き

祖先を大事にする父だったのを覚えている。



通夜と葬儀は、

家族葬にしたにも関わらず

父の直接の知り合いの

多くの方々に参列して頂き

供花や弔電もして頂き

皆様にとても感謝したと同時に

お声かけをいただく内容から

改めて父は人徳者だったのだと尊敬した。


亡くなってから葬儀までを

実家で一緒に過ごした幼い甥っ子は

私たちにとってはまさに

救世主だったのだが、

もうふつうに会話が成り立つ彼に

何て説明しようか難しかった。


彼は始めから、号泣する私たちに

訳がわからず「泣いたらアカンで!」

とティッシュを1枚1枚配ってくれていた。

じぃじは怪我をして寝てるだけ。と言い

「じぃじ、おはよう!早よ起きやぁ!」

と聞こえてくる朝を何日か過ごした。

いよいよお骨になる日、事情は変わる。


英語に興味がある彼には

じぃじはお空のムーンかスターに出発するの。

どっちやと思う?と説明した。

甥によれば月へ行くらしい。


そうして父は最愛の孫や

皆に見守られながらお空へ旅立ったのだ。