前回続きです。



それからの時は、

何で?何でなん?

何度も何度もその意味を見いだすため

噛み砕こうとしては、

意味がわからずでどうにも信じられない。


何故こうなったのか

何がいけなかったのか

どうすればよかったのか

どうにかすれば食い止められたのか

考えるたび絶望の淵に落とされる。


最後に会った時、最後に何を喋っただろう?

でもまだ現実とは思えない。

あっけな過ぎて受け入れられない。


そんな日々をおそらく一般よりも

少し長く過ごした。というのは

一旦警察に引き取られ検死があったり

友引で葬儀の日が延びたりしたためだ。


外で亡くなったので

一旦家に帰してあげたくて

「おかえり」を言ってあげたくて

その後選べた通夜までの安置を

葬儀屋ではなく自宅にしてもらった。

ドライアイス交換をしてもらいながら

父はそれから家で2日間過ごした。



ちなみに、

私にとっては新しい知識だったが

通院していた以外の病院へ

救急搬送されそのまま亡くなると

「死亡診断書」は書いてもらえない。

病院はその人をよく知らないからだ。


代わりに警察の検死(場合によっては解剖)

が入り、指定の病院で「死体検案書」

というのを書いてもらう。

それを持って「死亡届」を出す。


刑事さんによれば

(優しくてとてもいい刑事さんだった)

ジムの監視カメラを見る限り

事件性はなく

何時間もかけて頑張って

トレーニングしている姿が

映っていたらしい。

頑張り過ぎだ...

死体検案書を書いてくれた先生も

激しい運動で亡くなる方は結構多い

と話されていた。

(皆さんやり過ぎには気をつけて下さい)



人は24時間泣き続けることはできないようだ。

でも毎日涙を流すことはできるようだ。

いつか枯れることはあるのだろうか?

というぐらいに...


時に嗚咽をあげるほど泣いては

葬儀屋さんとの打合せを

気丈にふるまおうとする自分がいる。

それを繰り返す日々。


通夜の前のよる。寝る前に

母と妹と父を囲んで少しお酒を飲んだ。

もちろん父にも一杯。


これから沢山の予定があったのに、

春に母との旅行を予約済みだったし

1週間後には孫とふたり動物園にも

行くはずだったのに、、

慈しみをこめて「アホやな!」と

語りかけながら。