ナマステー♪
インドではいくつかの都市でボランティアに参加するつもりです。
「地球の歩き方」を読んでいると、まだ知らない別のボランティアを発見しました。
早速、メールを送って行き方を教えてもらいます。
Vishwarayaという施設で、捨てられてしまった子ども、知的障害を持っている方、
親が育てられなくて連れて来られた子ども、などが共に生活しています。
ボランティアと言っても、するコトは決まっていません。訪れた人が考えて何かやります。
大体、生活のパターンが決まっているので、何日か滞在すると、次何をすれば良いか分かってきます。
朝起きて、庭や通路の掃除、お供えするための花摘み、朝ごはん。
子どもたちと遊ぶ、昼ごはん、昼寝。
洗濯、お客さんと遊ぶ、帚つくり、ちょっと勉強、お祈り、晩ごはん、就寝。
大体、こんな毎日です。
適齢期になったと施設の大人が判断すると、小さい子どもたちは学校へ通うようになります。
そして、場合によっては、大学へ進学します。
そして、また施設へ帰って来て、今度は次の世代の子どもたちの教育に関わったり。
興味のある方は、このサイトを見てみて下さい。 vishwalaya.appspot.com
写真をクリックするとおっきくなります。
ここでは、風邪を引いてしまいました。
下痢と、熱、頭痛が4日間くらい治まらず、全く動けなくなりました。
一番ひどいときは、毛布をたたもうとして、持ち上げられないほど弱ってました。
ボランティアしに行ったのに、後半は全く何の役にも立てず、去る。
というコトになってしまいました(><) 逆にお世話してもらって…
施設の現在のBOSSのヴィノーダさんとは、それでもいくつか教育の話をしました。
「今、この施設には何が必要ですか」という僕の質問に、
「もし、君が何か、欲しい物があるのに手に入らない状況にあるとき、
しばらく待ってみる、するとそのうち、無くても大丈夫かと思えるようになる。
君にとって本当に必要なものだけが君の手元に残るものだ。
だから、今の私たちは、特に何か必要としているわけではないのだよ。
あるもので、うまくまわしていく、という生活をしているんだ。」
という応えでした。
僕の、感覚では、あとひとり、教育を学んだ人材がいれば、1日1時間でも、
授業らしいコトが出来るのに。ここにこんなものが欲しいな。あそこにはこれを、と考えていました。
この「今、あるものでなんとかしよう」という考え方は、
インド全体でなんとなくみんなが持っている感覚だと感じます。
この村では、「幸せって、何?」をずっと考えていました。
この村では、サンダルなんか履かずにみんな裸足で走り回っています。
僕の目からみれば、時間もあるのだし、もっと教育活動に時間を使えば良いのに。とか、
(僕の目には)効率が悪いと思えるコトを減らして、時間をつくれば、もっと沢山のコトが
1日で出来るのに。などと思ってしまいます。
でも、彼らは、これ以上のものは求めていないように見えました。
でも、この村での生活は楽しそうだし、みんなの顔は満たされている様に思われました。
あれも欲しい、これも欲しいよ考えてしまう僕と、今のままで十分と考えている施設の人たち。
どちらが良い悪い、という話をしているのではないけれど、
普段(日本で)不必要なものまで欲しがっていないか?それは本当に必要なものなのか?
と考えさせれました。
ヴィノーダさんから宿題をもらったので、日本へ帰ったらやらなければなりません↑↑
「自転車の整備マニュアルづくり」
インドではいくつかの都市でボランティアに参加するつもりです。
「地球の歩き方」を読んでいると、まだ知らない別のボランティアを発見しました。
早速、メールを送って行き方を教えてもらいます。
Vishwarayaという施設で、捨てられてしまった子ども、知的障害を持っている方、
親が育てられなくて連れて来られた子ども、などが共に生活しています。
ボランティアと言っても、するコトは決まっていません。訪れた人が考えて何かやります。
大体、生活のパターンが決まっているので、何日か滞在すると、次何をすれば良いか分かってきます。
朝起きて、庭や通路の掃除、お供えするための花摘み、朝ごはん。
子どもたちと遊ぶ、昼ごはん、昼寝。
洗濯、お客さんと遊ぶ、帚つくり、ちょっと勉強、お祈り、晩ごはん、就寝。
大体、こんな毎日です。
適齢期になったと施設の大人が判断すると、小さい子どもたちは学校へ通うようになります。
そして、場合によっては、大学へ進学します。
そして、また施設へ帰って来て、今度は次の世代の子どもたちの教育に関わったり。
興味のある方は、このサイトを見てみて下さい。 vishwalaya.appspot.com
写真をクリックするとおっきくなります。
ここでは、風邪を引いてしまいました。
下痢と、熱、頭痛が4日間くらい治まらず、全く動けなくなりました。
一番ひどいときは、毛布をたたもうとして、持ち上げられないほど弱ってました。
ボランティアしに行ったのに、後半は全く何の役にも立てず、去る。
というコトになってしまいました(><) 逆にお世話してもらって…
施設の現在のBOSSのヴィノーダさんとは、それでもいくつか教育の話をしました。
「今、この施設には何が必要ですか」という僕の質問に、
「もし、君が何か、欲しい物があるのに手に入らない状況にあるとき、
しばらく待ってみる、するとそのうち、無くても大丈夫かと思えるようになる。
君にとって本当に必要なものだけが君の手元に残るものだ。
だから、今の私たちは、特に何か必要としているわけではないのだよ。
あるもので、うまくまわしていく、という生活をしているんだ。」
という応えでした。
僕の、感覚では、あとひとり、教育を学んだ人材がいれば、1日1時間でも、
授業らしいコトが出来るのに。ここにこんなものが欲しいな。あそこにはこれを、と考えていました。
この「今、あるものでなんとかしよう」という考え方は、
インド全体でなんとなくみんなが持っている感覚だと感じます。
この村では、「幸せって、何?」をずっと考えていました。
この村では、サンダルなんか履かずにみんな裸足で走り回っています。
僕の目からみれば、時間もあるのだし、もっと教育活動に時間を使えば良いのに。とか、
(僕の目には)効率が悪いと思えるコトを減らして、時間をつくれば、もっと沢山のコトが
1日で出来るのに。などと思ってしまいます。
でも、彼らは、これ以上のものは求めていないように見えました。
でも、この村での生活は楽しそうだし、みんなの顔は満たされている様に思われました。
あれも欲しい、これも欲しいよ考えてしまう僕と、今のままで十分と考えている施設の人たち。
どちらが良い悪い、という話をしているのではないけれど、
普段(日本で)不必要なものまで欲しがっていないか?それは本当に必要なものなのか?
と考えさせれました。
ヴィノーダさんから宿題をもらったので、日本へ帰ったらやらなければなりません↑↑
「自転車の整備マニュアルづくり」