このクソ暑い名古屋(20日連続猛暑日!)で涼しく過ごせる場所と言えば、イオンのショッピングモールか映画館。


ということで、久々に映画を見てきた。





車好きじゃない人にもフェラーリは知名度が高い。


とは言え、1957年前後が舞台となるストーリーなので、車好きのジブンでも知らないことだらけ。


印象的だったのは、主人公エンツォ・フェラーリが日常の足として乗っていた車。

フロントグリルに付いたエンブレムと車の形で、多分プジョーだろうとは思ったが、さすがに生まれる前の車の車種まではわからなくて、



幸い、プジョーは数字3桁の車名が伝統なので、帰宅して適当に当たりをつけて検索すると、すぐに403だと判った。

(403といえば刑事コロンボが乗ってたオープンカーがそう。)


今なら大人気のイタリア超高級スポーツカーメーカー(当時はそこまで市販車は売っていない)の社長が、フランスの(イタリアのフィアットとかアルファロメオでもなく)大衆車に乗っていたというのは、その時期のフェラーリ社の経営状態が悪かったことを現しているのかもしれない。(劇中でも、既にこの頃フォードやフィアットに身売りする話が出ていた。)


実は、共同経営者でもあった奥さんのラウラは、運転手つきの(多分)アルファ・ロメオ1900に乗っていた。



1956年に息子アルフレードが亡くなったことで、夫婦関係が決定的に悪化したことを現しているようでもある。

(アルファ・ロメオはより上級車)


映画は、その夫婦関係を軸にした人間エンツォと、当時の人気レースである1000MIGLIA(ミッレミリア=1000マイル)の闘いと、レースがその年以降中止になる原因となったレーサーと観客の死亡事故を描いている。


ミッレミリアは今も復刻版としてやっているが本気レースではないので、撮影に使われている車はレプリカとは言え、鮮やかなカラー映像で、当時のフェラーリやマセラティがイタリアの風景の中を疾走するド迫力のレース映像を見られただけでも、この映画の意味がある。


主役でもあるフェラーリ335Sやマセラティ450Sという車種はロードカーではないから、資料写真か博物館に展示したものを見たことがあるかもしれない、というぐらいの馴染みの薄さではあるが、



この時代の、量産ではなく手造りでしかできない流麗なボディは、やはり素晴らしい。


60年以上経って、技術は信じられないくらい進歩して、性能は圧倒的に向上しているはずだけど、この50年代、60年代の素晴らしいデザインは再現できない。


再現するとしたら、昔と同じように少量を手造りでやるしかないから、とんでもないコストが掛かって億円単位の値段になるはず。


技術の進歩って夢がないよなー。

空飛ぶクルマとか自動運転とかぶつからない車とか、車好きの夢とは違う方向にしか進歩しない。


、なんてことを感じた映画でした。


俳優陣にも少し触れておきますか。


エンツォを演じたアダム・ドライバー、どっかで見た気がするが思い出せなくて、帰ってから検索したら、スター・ウォーズだった。ハン・ソロの息子カイロ・レンを演じていた。


奥さんのラウラも、どっかで見た女優さんだと思って見ていたが、エンドロールで名前を見て、あぁ!と思った。ペネロペ・クルスだった。


監督はマイケル・マン、何年か前に見た映画『フォード vs フェラーリ』で製作総指揮に名を連ねていた。フェラーリ好きなのかな? 

まあ、ハリウッドの映画監督なら、何台もフェラーリを持ってるだろう。





個人的には、タイトルは『エンツォ・フェラーリ』にすべきだと思ったけどね。
(フェラーリ、だけだと車がメインな感じ。でも実際の映画は、エンツォ本人のストーリーだから。原作本のタイトルと同じではマズかったのかも。)


夫婦関係が壊れる原因の1つでもあるエンツォの愛人の存在。
そして、その愛人との間に生まれた息子ピエロの存在が映画の中でも描かれているが、映画の最後、エンドロール前の字幕で、現在のフェラーリ社の副会長がピエロ・フェラーリその人であることが告げられたのには、ちょっと泣いた。