観光マップに「日本海を見ながら走れる快走路」と書かれた道が通行止だったので、珠洲市中心部まで戻って、あらためて海沿いの道を目指す。
ある集落を通過する時、片側交互通行の信号で止まったが、
かつて経験したことのない待ち時間。
本来ならまっすぐ集落の中を抜けていく道のようだが、左の斜面が崩落して家や道が潰れてしまっている。
先は全く見通せないから、確かに2、3分では無理な交互通行。
海岸線に出るとすぐ、揚浜式塩田で知られるエリアに入った。
この先の垂水の滝という景勝地を目指していたが、運転していると異様な景観が目に入ってきた。
見える範囲に重機が入ってる様子はないから、民家や店舗がないエリアで復旧の優先順位が低いならいいのだけど。
また「振り出しに戻る」でUターン。
もう、半島内陸の狭い山道をビクビクしながら運転するのも疲れるばかりなので、249号を経由して、早朝に通った珠洲道路で輪島市に直行。
走り慣れた輪島市を抜けて海岸線に出ると、
片側交互通行はあったが2分程度の待ち。
10:45頃、最終目的地『白米千枚田』に到着。下りていくと、
報道によると、1004枚の内60枚で田植えが行われたということなので、復旧と言うにはまだまだ遠いが、能登半島復興の象徴にするため、何年掛かっても復活させる意気込みだという。
既に、クラファンでも目標額を大きく超える支援が集まったようなので、お金で支援する余裕がない自分としては、時間と労働力を提供できる機会があれば支援したいところだ。
千枚田より先(東)は、復旧作業者や住民以外通行止となっているので、今回の視察はこれでほぼおしまい。
また輪島市内に戻って、復耕ラボ滞在中に毎日のように通った温泉「輪島KABULET(カブーレ)」に寄って、
例の倒れたビル。
(打ち込んだ杭によって地盤と建物が固定されるはずが、杭が折れて? 支えきれずに倒れたようだ。ある報道では、ビルオーナーとして耐震補強もしたのに、このようになってしまって基礎工事に問題なしとは思えないので、原因解明されるまで解体に着手できないと考えている、と書かれていた。)
最新の情報では、所有者全員の合意がなくても公費解体に着手できるという環境省の方針が示されたので、輪島朝市の焼け跡の撤去が進みそうだということだが、何故その方針を出すまでに4ヶ月以上掛かったのか?ということが問題。
中心部を歩いていたら、輪島中学での炊き出しでお会いした武士さんのお店(鮮魚店)に遭遇、
輪島港は海底隆起などの被害で稼働できていないので、魚は少ししか入ってこないし、輪島の飲食店が主な顧客なので、飲食店の再開が増えないと大変だと言っていた。
復興が加速して、早くお店の売上が震災前の水準まで戻ることを願ってます。
ということで、1週間の輪島滞在シリーズはほぼ完結。
元々が善人ではないから、この3ヶ月の善人的行動でそれなりに疲弊したことは否めない。
今後、能登にどうやって関わっていくかは未定です。