輪島での5日間のボランティア、最多依頼案件の廃棄物運び出しは、他の場所と特に変わることはない(軽トラで行って積んで帰る)ので割愛して、


(処分場ではなく、普通の町中の指定ゴミ置き場に置いて回収してもらうシステムだった。)

それ以外のことを少しだけ。


初日午後の子供の見守り。

実はこれ、ボランティア応募の際に希望する作業をチェックする欄があって、確か、唯一チェックマークを入れなかったヤツ。


他のことなら何でもやります!でも子供は苦手(笑)、という意思表示はしてあったのだが、


現実にはそれは参考にするだけで、当日のボランティア人員と作業件数とかを勘案して、希望通りにならないこともある。


自分から手を挙げて来てる以上、もちろん断るつもりもなく、イヤな顔ひとつせず(笑)、見守り場所の三井公民館に、もう1人のボラ女子と車で行った。


(三井公民館)


内容はいわゆる学童保育。

といってもそれが何なのか言葉しか知らないので、これを書くのに調べると、放課後の小学生が保護者が迎えに来るまで滞在して、遊んだり宿題をしたりして過ごす施設で、支援員の在籍が義務付けられている、ということ。


震災後で学童保育が実施困難なので、代わりにボランティアが行って子供の見守りをする、という役割だった。


屋内で見てるだけ&子供が外に出たら事故に遭わないように追いかけて見守る、それだけなら簡単な話だけど、やんちゃな男の子達が来たからもう大変!


一緒に駆けっこさせられるし、子供用のトレーラーというの?(↓こんな風なやつ)



これに子供が乗ったのを引っ張って競争させられるし、小学1年ってこんな元気だったっけ!


いつも同じ顔ぶれらしく、小1の男子2人と、小3~小6の女子3人が来たが、小1の相手が99%で過去イチしんどいボランティア案件だった(笑)。


子供って甘やかすとつけ上がる?から、あまり媚びてはいけないと思いつつも、初対面の、全くの他人の子供に厳しくする方法もわからない。

何せ、子供を産んだことも育てたこともないからね(笑)。


15時~18時、約3時間の修行(笑)。


奮闘したおかげで、同行したボラ女子からは「今日のMVPですよ!」と誉めてもらえた。


中々強烈な初日が終わり茅葺庵に戻ると、(たぶん)特にお題があるわけではないが囲炉裏を囲んだ宴会になって、



昼間の炊き出しチームの料理人さん達も合流して夜24時ぐらいまで。

それなりに呑んでたので、どういう経緯で合流したのかよくわからない、オーナーさんの知り合いの知り合いのアマチュアミュージシャンが23時ぐらいに来訪して、オリジナル曲を4曲歌っていくというカオス状態(笑)。



毎日こんなではなく、静かに自炊する日もあれば、輪島市内まで自車で食べに行くことも自由。あくまでもこの茅葺の古民家はBASE(基地)として利用すれば良いだけ。



と言いつつ、1ヶ月ぐらい運営スタッフとして滞在していた若手メンバーが帰る前夜の水曜には、庭でBBQが催されたりして、



結構にぎやかな1週間を過ごした。



県ボラの、あのひんやりした体育館泊まりで支給弁当をレンチンして食べるのとは大違いで、地域密着型ボランティアとして良い経験になった。



(輪島中に東京からパンの差し入れが大量にあった時は、余ったパンを持って帰って翌日の朝食に。ヨーグルトやバナナは自前買い出し。)

ちなみに庭のテントもあるが、自分の居た期間はボランティアが少なかったので、室内のテント泊まり。


中に段ボールベッドがあって、床にエアマットで寝るより快適だった。よく考えると高さ以外は何も変わらないんだけど。


人見知りはしないが、初対面の大人数に馴染むのはあまり得意でない自分だけど、この小規模団体での活動はまずまず大丈夫だった。


2月からボランティアをやり始めて3ヶ月後の5月末、素人ボランティアのニーズはかなり減ったように感じてはいるが、未だにニーズが掘り起こせていない地域も残っている。

それに手を差しのべられるのは、こういった地元発の団体だけど、その活動を広く知らせるスキームがないのが問題なのではないか?

のと復興耕ラボ代表がニュースに出演した際の映像。)


ネット社会の今、どこもSNSを活用して発信していると思うが、それ以外の情報量が多すぎて埋もれてしまうし、自分みたいにSNSを積極活用していない層も居るから、そこには情報が届かない。

このミスマッチを補正しないと、実はボランティアが足りていないという能登半島の状況は改善していかないのだろうな。


実はどこかにそういうポータルサイトができてるのかもしれないけど、今のところ、SNS不得手オジサンの目には留まっていない。