5/20~5/24の5日間、輪島市でボランティアをしてきた。


先月、石川県募集のヤツで日帰り輪島ボラをやった時は、輪島市東部(能登最奥の珠洲市に隣接)の町野町での活動だったから、輪島市中心部に近いボランティアをできないか探して見つけたのが復耕ラボだった。




5日間の全体像は、


月曜:am炊き出し、pm子供見守り

火曜:終日炊き出し

水曜:am個人宅廃棄物運び出し、

   pm食品加工業廃棄物運び出し

木曜:am個人宅廃棄物運び出し、pm炊き出し

金曜:am農作業支援


というメニュー。


石川県のボラでは個人宅廃棄物運び出しがほとんどだったので、毎日内容が変わるし、初めての作業もあって、小回りの効く民間ボランティア団体ならではの活動だった。



早速、初めての炊き出しについて報告。



場所は輪島中学校で、体育館等が避難所で100人以上が今も避難生活をしている。

そこに、イベントで使うような白いテントが設置されて厨房となっていて、昼食と夕食を作る。




炊き出しの中心となっているのは、地元輪島市で飲食店を営んでいた料理人さん達4名。

(お店は被災して再開の目処が立っていない。)


ボランティアの我々はそのお手伝いで、野菜の下ごしらえ(皮剥きやカット)をしたり、使用後の調理道具を洗ったり、時には料理も手伝った。


参加初日の昼食メニューはオムライス。



自分がまず手伝ったのは、チキンライスに入れるニンジンのみじん切り。

普段自炊はするが、ニンジンをみじん切りするような料理は作った記憶がないから、みじん切りするのもほぼ初めて。

料理人の方に切り方を教わって(玉ネギでやるように先に縦横に包丁を入れて、一気にみじん切りにするやり方)、100食分のための20本ぐらいを全部みじん切り。

右手人差し指に包丁ダコができた。


その後、一気に大量に作る必要があるので、料理にも駆り出されてオムレツ作り!

ガスコンロ4つを同時に使って100個だから、たぶん1人当たり20個以上焼いたはず。


出来上がり姿はこんな感じ。



焦がさずに中身半熟ぐらいで作れば、あとは料理人さんが整形してくれるので、それなりの見栄えになった。


初日は、動き方も、誰が誰かも、ほとんど解らず言われるままに手伝っただけだったが、翌日ぐらいには、話を聞いたりして色々解ってきた。


まず、ここは元々自衛隊が炊き出しをしていて、4月から今の地元料理人さん達が引き継いだとのこと。

自衛隊の時と違って(見たわけでもないし、地震直後から寒い能登に派遣されて炊き出しする自衛隊の役割は大きいが)メニューのバリエーションが多くなって、温かい料理はできるだけ温かく提供するように気を使うなど、さすがプロの料理人さんの仕事で好評なようだ。


メニューは料理人さん達で日々考えて決めていた。



夕飯にはデザート(この日はバナナ蒸しケーキ)が付くこともある!



蒸しケーキは数量不足で賄いに回ってこなかったショボーン

メニューの写真は、実はどれもボランティア用の賄いを写したもので、昼食の余った1品が余計に付いてたり、逆に数が足りなくて1品少ない場合もあったりして。(基本は炊き出し人数+賄い10食を用意している。以前、某タレントが被災地訪問して炊き出しのカレーを食べたのを「けしからん」と馬鹿ども達が炎上させていたが、現場に来ようともしない奴らが何を騒いでるのか!という感じ。)


(豚汁定食+パンプキンプリンは美味しかった。)

それにしても、初めての炊き出しでちょっと不安があったが、料理人さん達がいい方ばかりでやり易かっただけでなく、賄いが食べられて長期遠征の外食地獄に陥らずに済んで、非常に良かった。



他の避難所の運営がどうなのか知らないから断言はできないが、こんなに恵まれた炊き出しは中々ないのではないだろうか。



実は、料理人さん達のリーダーとして切り盛りしていた冨成さんは、輪島市町野町で日本料理店『冨成』を営んでいて、なんと!そのお店はミシュラン1つ星を獲得している。

お店は被災し営業休止中で、再建できるかも判らない中、ボランティアで炊き出しを続けている。


もう1人、現場では「竜吉さん」と呼んでいた料理人さんも、輪島市中心で料理店を営んでいたが、店舗兼自宅は地震で全壊。

空き日の土曜に輪島市内を歩いていたら、その全壊した店舗『のと吉』を見つけてしまった。



この裏から見ると、

(ちなみに、ここから避難所の輪島中学校まで歩いて15分ぐらいだと思う。)

こんな状況で、どういう心情で炊き出しを続けているのか、その胸の内を直接聞くことなんてとてもじゃないができないが、竜吉さんも冨成さんも、全く普通に振る舞っていた。

自分が今やってるボランティアなんて、自己満足に過ぎないのは始めから承知の上ではあるけどねぇ・・・。


ところで、被害の大きい輪島市で避難所となった輪島中学校であるけど、全く無傷であるなんてことはなく、体育館の裏の駐車場は大きく地割れしていたし、


グラウンドでも大規模な沈下が起きていた。


建物自体は鉄筋コンクリートなので無事でも、窓ガラスが割れたり壁が落ちたり天井が剥がれたりという被害はある。

徐々に避難所の人数は減ってきているらしいが、輪島市内を見る限り、全員が仮設住宅か自宅に戻れるようになるには、まだ時間が掛かるように見える。

炊き出しチームの活動も当分続くが、夏を迎えるとなると、食材の保存とか食中毒防止とか、気を配ることも増えて大変だろうなぁ。

エアコンのない体育館での生活も体調維持が難しくなるし、もっと復旧を加速させないと、二次被害が増えることは目に見えている。

仮設住宅は5000戸ぐらいが完成して、入居希望世帯の8割ぐらいをカバーできそうという見通しが出ていた。梅雨も来るので6月末くらいまでに避難所が閉鎖されて、炊き出しチームの肩の荷が下りることを願ってやまない。


(炊き出しチームと、偶然慰問に来ていたはるな愛ちゃんで記念撮影。)