1月末に石川県の災害ボランティア募集サイトに登録してから3ヶ月。


通算5回、延べ10日、能登半島に通った。


(活動時に貼るネームシールの一部)


一番高い交通費は高速の通行料で、ボランティアには無料措置が適用されるから無職の初老オジサンでも通えたが、これがなかったら何度も行くことはなかった。


そもそも石川県主導で、個人では日帰りか1泊2日プランでしか行けないようにしてしまったのが間違いの始まりだと思う。


休暇を取って来る現役世代はそれでもいいかもしれないが、無職で売るほど時間があるジジイにしたら、どうせ行くなら1週間とかまとめて作業したいが、それができない。


ネットニュースでは、ボランティアが少ない、現地で見かけない、とか書かれているが、それは当然のこと。石川県がそういう仕組みにしてしまったからで、3ヶ月たって、その弊害が明らかなのに改善する動きが見えてこない。


いったい、どうしたいのだろう?



高台から見た七尾市の街並み。ブルーシートを掛けた屋根が多く見える。

屋根の修繕は、ボランティアには手が出せない作業だからどうにもならないが、一事が万事。全てが遅い。

4月に起きた台湾地震では、ニュースで必ず映る傾いたビルが、


地震から3日後には解体に着手している。

倒壊の恐れがあるから急いだ事情はあるにしても、日本はあまりにも遅い。

今回、七尾市に来たついでで、延べ10日間活動した締めくくりと思って、ボランティア翌日に輪島市を訪ねてみた。

輪島へ向かう「のと里山海道」は主に下り線のみ通行できるが、まだまだ応急処置の段階で、段差にはね飛ばされそうになりながらの走行だ。

輪島のボランティアにも参加はしたが、それは中心部から離れた町野町だったので、壊滅的な被害となった輪島市中心部は見ていない。

真っ昼間にスマホ片手に散策するような図太さは持ち合わせてないので、早朝も早朝、日の出前後に車で移動しながら写したのがコレ↓。

これ以上倒れることはないから放置されたビル。


焼け跡のままの朝市周辺。


廃車するしかない軽トラも放置。


傾いたまま役目を果たしている電柱。

あるボランティアのかたは看護師で、輪島の病院にも応援で行ったと話していたが、街中の全てのものが傾いていて、平衡感覚がおかしくなりそうだった、と言っていた。


今後、どのように街を復興させるか、プランが決まらないと解体に着手できないのかもしれないし、そこの住民の同意も必要かもしれないが、この焼け跡の瓦礫を残しておくメリットなど何もないはず。


何のためにやるのか主催者でさえ明確にできていない大阪万博に、人・物・金を注ぎ込んでる場合じゃないというのは、能登に行って現場を見ないと実感できないだろう。


車で通過しながらだったので、地震によるものかわからないが、輪島に限らず、斜面崩壊してるところはよく見かけた。土砂が道路には達してないから、たぶん一番後回しにされる被害となるのだろう。


輪島からの帰りに、ちょこっとだけ能登島にも渡ってみた。


この周辺は牡蠣の産地で、車で走っていると「かき」の看板を多く見ることができるが、営業しているところはまだ少ないようだ。

マリンパークには、津波の跡にも見える土砂が、海から50m離れた場所に残っていた。



まだ避難所生活の人も多く、建設中の仮設住宅も何ヵ所かで見かけた。
水道・下水が復旧していないところも多いし、倒壊家屋の解体が始まってないところがほとんど。

そんな中でボランティアの応募が減少している(4月に入って追加募集のメールが届くようになった)ことは明らかで、月末からのGWで支援の機運が再度盛り上がることに期待したい。


ボランティア活動の中心になっているのが社会福祉協議会(以下、社協)なのだが、何度かボランティアに行って、社協の人の話を聴く機会もあったので、ちょっとだけ触れておきたい。

自分は全く勘違いというか、知らなかったのだが、社協は、県庁や市役所といった役所の下部組織ではなく、民間団体(公益法人)であるということ。

つまり、大規模自然災害の復旧に関する支援活動であるにも関わらず、公的資金で動いているわけではなかった。(市からの補助金や事業受託金はあるが、それ以外は介護事業の収益や会費・寄付で運営している。)

(輪島で配られたチラシ)


マンパワーも十分とは言えず(社協職員も被災者)、全国各地の社協職員が応援に来て何とか回してるという状況。

たまたま、名古屋市社協のビブスを着用していた人が七尾にいたので話をしたが、1週間交代の派遣で、場所によってはボラセンの運営を丸ごと請け負うこともあるそうだ。


現場に一番近いのが行政機関ではなく社協だから、復旧方針を決めるべき行政に生の現場情報が少なく、判断も遅く適切でもない、という悪循環に陥っているのではないか?

という問題意識を、プロレスラー上がりで地震発生時に東京の自宅に居た知事は持っているのだろうか?



で、自分のことに戻るが、

4月に入ってボランティア募集の形態に少し変化が出てきていて、現地集合のところが追加されたり、ベースキャンプを利用する1泊2日の作業が「前泊+1日」の作業に変わったりしている。

ボラの応募が減ってること、金沢からのバス輸送を減らしたい、ということに鑑みた変更だろうと思う。

自分としても、この2ヶ月でボラのために3000kぐらい運転をしている(ボラと関係のない東京遠征も足したら4000k超)が、さすがに効率が悪すぎるのでやり方を変えたい。

今のところ、個人で連続活動するには、野口健のテント村を利用するしかないので、それ前提で計画しようと思ってはいる。



できたら、テント村プロジェクトの対象が七尾市だけでなく、珠洲市や輪島市まで拡大してくれたらありがたいんだけどな。

GWでのボランティア数の増減動向を見て、5月GW明けから活動再開しようか?