輪島市のボランティアは日帰りプランしかないので、19時過ぎに金沢駅に戻ってきた。

金沢は予想以上に寒かったが着る服が足りなかったので、駅隣のビルのユニクロで服を調達。その後、瓢箪湯(銭湯)に行ってから駅近くのガストで夕飯。


既に雨は本降りで、明日もこんな雨だったら作業はできるのか?できたとして、濡れるし滑るしイヤだなぁ。


雨音の響く中、デカングーで初めての車中泊。

買い替えのプライオリティ通り、寝るのに充分な広さに加えて、室内高もCX-3よりだいぶ高いので、装備さえ揃えれば快適な車中泊になることが確認できた。


翌朝5時頃、まだ雨は降り続いていた。



また金沢駅からバスで穴水のベースキャンプに行き、そこから、穴水町のボラセンへ移動。



写真の通り、穴水町は相撲の遠藤関の出身地だった。最近の相撲はほとんど観ていないが名前は知っているので、もっと上位かと思ったが平幕で、最近の成績もあまり良くないようだ。



ま、それはさておき、今回の穴水町での作業は、過去延べ6日の活動と比べて、一番負荷が軽いものだった。


最初のチーム分けで2人1組となったのがラッキーで、同じペアで翌日も活動となって気楽だったこと、2人での作業なので、大物や重量物の運搬がある案件は回ってこなかったことがその理由。


その代わり、細々した案件を沢山こなすことになり、被災者宅⇔処分場⇔センターを2日で10往復ぐらいしたかも!(2日で4軒程度が普通。)



穴水町は被害の大きかった珠洲市や輪島市よりは震源から遠いので、家屋の被害は少な目なのかと思っていたが、港の周辺では倒壊家屋も目についたし、センターから100mぐらいのところにある穴水大宮の石造りの鳥居なども倒壊していて、被害は小さくなかった。




穴水湾から続く海岸線の岬にある小さな集落のお宅に軽トラで行く途中の道は、




↑この写真の崩落で1mぐらいの段差。


↓こっちだと更に大きく、人の背丈ぐらいの段差となった崩落。



コーンを置いてあるだけで全然手付かず。


盛り土をした上に舗装して道を造っているからなのか、山の斜面でもないのにこんなに崩落してしまうとは!


自分たちが生活してる場所は、こんなに脆い基盤の上に成り立っている。


建物が耐震基準を満たしていて無事でも、その基礎が割れたり沈下or隆起したら、その家はこの後も安全と言えるのだろうか?




知ってる限り、能登で熊本地震のように橋が崩落したところはないと思うが、橋は頑丈で揺れに耐えても、橋と接続する道路がダメージを受けて段差ができてる所はそこら中にある。




季節が良くなってきたから、バイク乗りならツーリングで能登半島に行こうなんて思う人も出てくるだろうけど、とにかく段差とか、穴とか、盛り上がったマンホールとかトラップだらけなので、相当気を付けて集中して道路を見ながら運転しないと危ない。



そう言えば、肉体的には負担が少な目の2日間だったけど、最後のお宅で回収したドラム式洗濯機だけは違った。


他の例えば3ドアの大型冷蔵庫ぐらいだと、男2人で何とか運べるが、ドラム式洗濯機はとてつもなく重くて、3人で引きずるようにして軽トラの荷台に載せて、引きずり下ろすようにして処分場に搬入した。


あまりに重いので、水が中に残っているのかと思ったが、後で気になってネット検索してみたら、洗濯容量にもよるが、軽くて50kg、大型のだと90kgクラスというのが普通らしい!


だから地震に備えてどうしろ、ということではないが、家財・家電の中で最重量のものがドラム式洗濯機、というのは忘れないだろう。



結局、1日目の雨は昼には上がって、2日目は快晴で、特に天気の影響は受けずに作業ができた。


滞在中、金沢市内は桜が満開で、能登半島は5分咲きぐらいだったが、バスの車窓から見頃を迎えた桜が見えることもあり、



必ず春はやってくる、ということを被災地の皆さんが感じていたらいいと思うのと同時に、

支援や復旧の進展が春を連れてこないといけないとも感じた。



来週は2度目の七尾市に行く予定です。