前記事の通り、珠洲市の災害ボランティアに1泊2日で行ってきました。


最初にお断りですが、ジブンがボラに行くのは、支援したい・手助けしたい、という奉仕の精神よりも、今までもこれからも世の中の役に立っていないジブンが、少しでも役に立ったという実感を得る自己満足がメインです。それが結果的に支援になればいいのですが。

なんか違和感を感じたら、それが原因でしょう。


ツキのない2024年が始まって2ヶ月経つが、表題の通り、またしても運悪く、能登に行く3日前に人生初のギックリ腰になってしまった。


よく言われる「魔女の一撃」のように、いきなりガツンと腰にくる感じではなかった。


なんとなく左下腹が痛くなって、ただの腹痛だと思ってたら、翌日(日曜)、左腰全体がひび割れたみたいに痛みだした。

経験がないが、たぶんこれがギックリ腰なんだろう。スマホで検索して対応を調べると、初期の激痛期は安静、それを過ぎたらできるだけ動かしたほうが回復は早いとあった。


ボラまでに治るのか?


常備薬のバファリンで痛みを抑えると、歩くのはOK。でも腰を屈める動作はキツイし、薬が切れたら痛くて寝られない。

瓦礫撤去とか家具搬出とか、被災地での作業は力仕事がほとんどのはず。


ヤバい。


前日(火曜)に整形外科に行って聞いたら、痛み止めで我慢できるなら(骨や関節に異常は見られないから)作業すること自体は構わない、とのこと。


最悪、ボラをキャンセルしようか迷ったが、連絡先がわからない(問合せ対応で忙殺されないようにあえて記載してないんだと思う)ので、とりあえずロキソニンを買って、金沢に行ってから考えよう。


深夜に名古屋を出て、水曜の朝、金沢到着。

約4時間の運転に耐えられたから、現地での長時間バス移動も耐えられるだろう。




8時過ぎに大型観光バスで金沢駅出発。

のと里山海道で能登半島へ。


先日金沢観光をした際に、国道8号では『のと里山海道通行止』という看板や電光掲示板を何度も見ていたが、通れるようになったのか。


しかし、千里浜を過ぎて半島の山の中に入っていくと、そこかしこに地震の爪跡が。



走行中なのでうまく写ってないが、山の斜面に通した道路の谷側の車線が、完全に崩落してる箇所を何度も通過する。


山側を削って均して、車が通れるような最低限の舗装をして、北行きのみの一方通行が可能になっている。
他に通行する車を見る限り、工事車両、災害派遣車、地元ナンバー車など、関係者に限って通行可としているようだ。

この里山海道が通れるかどうかは、避難や補給や支援の生命線だから、最優先で復旧作業したんだろうな。工事関係者の奮闘に感謝しかない。

2時間半ぐらいで穴水町のベースキャンプ到着。


ここをベースにして更に半島の先の珠洲市へ移動して作業をすることになる。

この週からベースキャンプが開設されて、


体育館がテント村になっている。

(能登高校書道部からのメッセージ)

これで個人申込でも1泊2日のボランティアができるようになった。
(それまでは日帰りだけだったので、実質的な作業時間が短かった。)

ここに宿泊の荷物を置いて、またバスで移動。

12時過ぎにようやく珠洲市のボランティアセンター到着。


チーム分けや配車をして、軽トラやハイエースに分乗して現場へ。

(名古屋からも軽トラが提供されていたし、運営スタッフの中にも愛知県社会福祉協議会のビブスを着用してる派遣職員を数人見かけた。)

基本的には依頼のあった個人宅に行って、屋根の破損で水濡れしてダメになった家具・家電・畳などを家から運び出して、落下した瓦や壁なども集めて軽トラに載せ、処分場に運ぶという作業。




東日本大震災の時に千葉あたりの映像として見たことのある、マンホールが地面から突き出してキノコみたいになってる現象は、こちらのエリアではほとんどのマンホールがそうなっていて、そのままだと車が通行できないから、周囲に砂利を盛ってマウンドみたいにしてあった。

それでも、うちのエリーゼだったら通れないぐらいのデコボコ。
軽トラはまあ通れるが荒波の中を進む小舟みたいに上がったり下がったり。

(現地の写真はほぼありません。)

現場の運び出しで一番重いのが畳。東日本大震災の時もそうだった。2階から狭い階段で下ろすのは大変。
今回は北陸の冬だから、畳が乾いてることはほぼなくて、たぶん乾いてる時の倍は重い。

地味に辛かったのは瓦集め。屋根から落ちて割れた瓦を集めるが、瓦だけじゃなく雪も落ちてる中から拾うので手が冷えて痛い。氷を集めてるようなもの。


それにしたって、一般人のボランティアができるのは倒壊の恐れがない家の作業だけ。
傾いてる家や倒れた家に手は付けられない。

珠洲市は一番被害が大きかった地域だから、酷いところだと一目で見える家10棟のうち7棟が倒壊しているような場所もあって、そういうところは手付かずのまま。

どれだけボランティアが入っても、どうにもならない無力感は否定できない。

(1階が押し潰された家)

2日とも作業内容は同じ。
移動時間を除くと正味作業は1日3時間程度。
家の大きさ次第だが、1日で1軒終われば御の字。

終わったらボラセンに戻って片付けして、また大型バスでベースキャンプへ。

(航空石川といえば甲子園にも出場する有名校だが、その学校法人が運営する専門学校のキャンパスを利用している。)

夕飯は弁当。これと明日の昼食(オニギリ2ケ)が¥1000の有料制。


ベースキャンプ内は火気厳禁となっていたので、外で使うつもりでこそっとジェットボイルを持ってきていたが、館内にレンジとポットが用意されていたので必要なかった。


テントは広くて最大4人は寝られるスペースを独りで使用できる。


冬用シュラフとマットを持っていったので、冷え冷えの体育館だけど寒さで眠れないということはなく、これなら3泊4日ぐらいは耐えられそう。
(風呂に入れないのだけがネック。)


翌日も同じような作業を半日やって13時くらいに撤収。15時にベースキャンプに戻って、全員で記念写真。


平日の2日間ということもあって、リタイヤ世代(me too)が多めか。


この人数、このペースだから、これから相当な長期戦になるだろう。
今のところ、ボランティアのエントリーは先着制で、申し込めない人が出るくらいの応募があるが、長期になれば応募数が漸減していって枠が埋まらない地域も出てくるはず。

どこまで本腰をいれて取り組めるか、ジブンが試されてるような気がしている。