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自死遺族となって

父が自殺しました

今でも時々父への気持ちがどうしようもなく溢れ出してしまいます。

夜は特にそういうことが多いです。

父に会いたくてたまりません。

いて当たり前だった父はこれから先も必ず私のそばにいるものだとばかり思っていました。

だけど私の未来のそのなかにはもう父はいません。

これから父と共有していくはずだったすべてを父なしでなし得ていかなければならなくなりました。


父が自殺して以来、自己肯定がなかなかできずとても生きていくのが苦しいです。

父のそばにいきたいです。

それでも、それでも、ずっと耐え続けています。こんなつらい思いを私のまわりの大切な人にさせたくないんです。

この思いだけで今の私は生きています。
私は無事大学に合格し入学しましたが、

父が生きていればいたであろう場所の大学に通うことは私にとって精神的にとてもつらいことでした。

平常心でいることは難しかったです。

ふだんの大学生活ではそのようなそぶりを人に見せることはもちろんなく、

まわりから見ればふつうだったでしょう。


父の勤めていた大学とは異なりましたが、

大学の世界はそんなに広いものではないですから

私の通っていた大学にも父の知り合いは何人もいました。

もちろん私はその方々を避け、極力かかわらないように大学生活を送り、

父の自殺と大学は別物だと割り切って考えるようにしていました。


しかし、それまで大学というものがどういうものかというのが

生前父から聞いていた話や父と訪れていた場所のイメージでしたので

大学と父とを切り離して考え、感じることは私にはできませんでした。

大学2年の夏休み明けには大学に行くのがそれまでよりいっそう億劫になりました。

初めは疲れているだけだとうと思っていましたが、

上記のような意識を持っている私は

この時期からさらにその意識を強めるようになっていきました。


なかったことにしよう、思い出さなければふつうの生活を送れると思っていたけれど、

それはやはり違いました。ただ逃げていただけ、本当の意味で楽になれているわけではなく、よりいっそう自分を苦しめているだけでした。

とうとう私は父の自殺に向き合わなければならなくなりました。


それからやはり大学に行けることはなく、休学することになり実家に帰りました。

私はただ父の自殺に対してわき起こるふつうの悲しみ、感情だと思っていましたが、
(悲しみは尋常なものではなかったですが、
親が死ぬということ、自殺であったということに対する反応としては“ふつう”だと思っていました)

母は私のことを本当に心配し、夕方ドライブに出かけようと私を誘い出し、

一緒に病院に行こう、病院に行ってほしいと言いました。

私もすこしでも楽になれるのであればと思い、心療内科へ通うことになりました。


なかなか難しいですね。

本当に向精神薬が必要なのか、人が許容できうる悲嘆であるのか、という判断は今考えても難しいことだと思います。

薬はやはり副作用もありますし、薬が合う合わない(効く効かない)というのもあります。

薬を飲んで良くなったこともありましたが、一概にすべて良かったとは言えないのではないかと思っています。
勢いで始めたブログなのでいたらない点が多々あるとは思います。

まだアメブロについてもよくわかっていないのですが、

ぺタくださったみなさんありがとうございます!

マイペースに書いていきますね。

これからもよろしくお願いします。