「さくら―」

 学校の廊下に声が響く。

 さやかが短いスカートをひるがえして逃げいくのが見える。

「おまえー 待て」

 野村先生の野太い声が飛ぶ。

 筋肉質の広い背中が本気で怒っている。 

 

「よぉ」

 音楽室のドアを足であけてさくらが入ってきた。

 さくらはもうすぐ18歳になる高校3年生。

 週1回の学校のカウンセリングに来てくれている。

「元気?」

「まぁね」

 ペットボトルを持った右手を上にあげる。

「さっき、騒いでいたね」

「野村のくそがうるさいだけ」

 椅子に身を投げ出し、きれいな足を組む。

「いやじゃないの?」

「何が?」

 カラコンの目で見つめてくる。

「呼び捨てにされることが」

「そういえばいつも『さくらさん』だね」

 公の場で学生を呼び捨てにすることに抵抗がある。

 名前で呼ぶことはあるがそれは2人の時だけだ。

 周りに人がいるときにはさん付けにしている。

 さん、ちゃん、呼び捨てで関係性がわかる。

 呼び名はその人との距離を表すのだ。

 だから人前ではさん付けにしている。

 関係性が他の人に伝わらないように。

 

「あいつにお前って言われるのはむかつくけど」

 ミルクティーの蓋を開ける。

「さくらって呼ばれるのは嫌じゃないよ」

 きっと驚いた顔をしたのだろう。

「名前を憶えてもらっている感じして」

 思わず息が止める。

「さくらさん」

 そっと言葉を発する。

 いつかはさくらって呼べるようになりたい。

 

 呼び捨てにできるのはお互いに支援者‐被支援者の関係を超えて

信じられるようになった時だから。