権利を保護される者の増長はどこまで許されるべきか。 | 無題

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島根県立大学で「男装女装コンテスト」が中止 性同一性障害者への差別と偏見が広がるから?
http://www.j-cast.com/2012/10/09149429.html

性同一障害者の支援団体が大学の女装・男装イベントの開催に異議を唱え、これを辞めさせたというニュースだ。
弱者の権利を守る団体にはありがちな行為で、大したことはない。

本当に問題なのは、生活保護者の身分をわきまえない発言にも同様に見られる「権利を保証してもらっている側」の増長だ。
衣服の配給制や食券制度に反対する生活保護者を見ていて、一度ぐらいは「他人の税金で養われている癖に偉そうなことを」と、ニートを育てる親の様な気持ちになったことがあるだろう。差別されてきた人々の権利を保護する際にも、それは社会の努力によるものであって、構図は生活保護者対納税者のそれと大差ない。

万人平等は確かに美しい。しかし万人平等を謳ったところで、周囲の人間にそのつもりが無ければ絵空事である。発展途上国に生活保護制度がないのを見れば分かるが、弱者の権利保護は(たとえそれが最も正しい道であったとしても)、豊かさの上にしか存在し得ない。心と財の豊かさである。

「言いたいことを全部言って何が悪い」と人間関係や空気を読まずに自分の要求を好き放題言い続ければ、すぐに周囲との関係は破綻する。してもらって当然の事でも、してもらえるかは相手次第なのだ。「権利を主張して何が悪い」というのもこれと同じことである。


 photo:More on the Whole Simon Blint Fiasco by Thomas Hawk