カラフルなスマホに価値はない。Lumia920で考えるカラバリの価値 | 無題


NokiaのCMに、Lumia920というスマホのカラバリの多さを活かし、iPhoneを非難するものがある。
CMの中で描かれるのは、街中にあふれるiPhoneを求める黒い影のような人々である。
そんな中で、Lumia920を持った人々は、赤や青や黄色といった華やかな色の人として描かれている。
カラフルなスマホの方が生き生きとしていて良いよね、といった趣旨のCMである。
白黒の2色しか販売しないiPhoneを叩いているわけだ。

この記事では、カラフルなボディの価値について考えてみたい。



このCMを見て思い出したのは映画「ロボッツ」だ。
これはロボットしかいない世界を描いた話だ。主人公とその仲間は、レトロチックな色合いとデザインの旧型パーツで動くロボットで、ちょうどLumia920のカラフルなボディと重なる。
一方、最新のパーツにアップグレードしないロボットを処分場送りにしようと企む悪の大企業が宣伝するのが、艶のある黒とシルバーのパーツである。まさにiPhoneである。
映画はロボットの「個性」に着目していて、黒とシルバーの体ばっかりじゃ楽しくない、という旨の主人公の発言が際立っていた。

たしかにiPhoneはカラフルではないから華やかさには欠ける。
しかしそんなことが問題であろうか。
NokiaのCMはスマホの色がまさに持ち主の個性であるかのような宣伝を行なっていたが、果たしてそうだろうか。
私はそうは思わない。
スマートフォンはもはや常に肌身離さず持ち歩くものである。一昔前の腕時計だ。

求められるのは安っぽいプラスチックのスマホではない。高級な金属製のスマホだ。
ロボッツの登場キャラがカラフルさを大事にするのは、それが個性そのものだからだ。

人の付属品であるスマホはそうではない。