今日もかまりちゃん(* ̄- ̄*)>

今日もかまりちゃん(* ̄- ̄*)>

本名かおり。かまりと呼び続けるのは東北出身の父。(かまり=匂い)

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出会ってきた大好きな人たちが今日も幸せでありますように


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2011年にブログスタート。


日々のこと。ボランティアのこと。バレーのこと。仕事のこと。・・・これからは出産・子育てについても書いていけるかな。


自由な内容・自由なペースで更新しています。

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10月にボランティア活動で訪れた長野に再び行ってまいりました。
私の参加後も引き続き同じ地区の活動が進められていたけれど、手を動かす作業マンと地元の方と情報共有して活動内容を確認してくれるコーディネーターマンという役を担う人たちがいて活動も私のイメージと少し変わっていた。

最初に行ったときには目に見える被害部分を直していくという作業だった。泥を取りのぞいたり、泥汚れのついたものを洗い流したり。でもその時からみんなが口々に言っていた【床下】。特にそういった部分の
作業に詳しい人たちには違和感だったり懸念がその時からすでにあったのだと思う。のちのち、ボラ先輩方のSNSにアップされる情報で事情が見えてくるのだけど。

そういうわけで今回の主なミッションは床下にもぐって撒かれた石灰を取り除く作業だった。私は半潜り(ほとんど壁・床がない状態の床下)経験はあったけれどまったくの建物の下に入るのは初めて。「この幅入るのか?」と思いながら思い切ってダイブ・・・したら出来た(笑)奥に入るとすでに何人ものボラ先輩方が黙々と作業。と言っても声を掛け合っているのですぐに安心感もでてきた。石灰が付いた土を取り、石灰がこびりついた石をブラシでこすり落とす。きっとこれまでも東北の震災やその他地域の災害ボランティアで【潜る】ということをしてきた人たちはこういうことをしてたんだな。
地上の作業だってもちろん重要。被災した人たちとコミュニケーションをとることも重要。顔を合わせたり言葉をかわすことがなくても寄付というかたち、被災した地域に赴いて旅行したり観光したりすることも一つの支援。そして職人のように、床下に入ることも支援作業の一つ。




残念ながら自然災害を避けられない日本。(だけじゃないけど)でもボランティア活動、ということがレアではなくなってきていることが皮肉にも救いになっているこの頃。ただ全部の機関が対応できるようになっていないのも確かで集まったボランティアが何もできず帰るというようなことも現実に起こっている。ボランティアも自分の生活時間を使ってきている。できることなら十分に活動したいと思っている。そういった思いがすこしでも被災した人達に届くような体制になることを期待しつつ、ワタシはできることを全力でやりたいと思う。

今回も最初は一人で参加するつもりでいったけど仲間ができて、これからも参加させていただけるチームにも出会えた。このつながりに感謝。もっともっと広がってボランティア活動が当然、活動を応援するのも当然、そんな風になるといいなとか思ったりする。といっても自然災害の被害もなく、災害ボランティアは不要ということが続くことが一番だけど。

10月に大型台風直撃。


これまでにない注意喚起の報道の中、「あれ?」という感じでワタシの住むエリアからは過ぎ去った。

お風呂に水をはり、大雨が降る頃にはどの店からも水ボトルが消えていく中なんとか入手した分を半分冷凍庫へ半分は備蓄用に。その他、ガスボンベや電池類、数日は過ごせると思われる量の食料を準備していたのだけれど。でも、結果使うことになかったけれど、それらがあるということが今できる準備はしたという安心だった。もちろんワタシ自身は被災したことがないからこれが絶対大丈夫ということにならないとは思っているつもりだけど。

 

テレビ報道で前月の台風被害を受けたエリアがさらに被害を受けたり、これまで水害の意識をもってなかったエリアで被害が起こっていたり・・・関東出身者としては「海のない県で水害?」というのが第一声。というか川があるのであり得ないことではないけれど。

親・兄弟・親戚や友人宅の被害は幸いなかったけれど全国的に被害が起こってしまった。東北震災でボランティア活動させていただいた地域でも。

すぐに東北に行きたかった。会いに行きたい人がたくさん浮かんだけれど行けなくて、それでもどうにか行けるように考えて翌週の週末に長野へ。

ボランティアつながりで知り合えた人たちと向かった被害区域は一見静かな町だったけれど一軒一軒が被害を受けていた。幸い天気に恵まれて終日活動ができた。

 

けれどまだまだまだまだまだニーズがたくさん、必要な作業もたくさん。その為にも多くのボランティアと専門技術集団とそれをとりまとめるところが必要。それを明確に実感した活動だった。

知り合ったボランティアさんたちは各地で活動し、そしてつながった人たちで誰もがフリーランスなのにチーム。そんな中で活動できて心強かった。

この週末もみんな集まって活動している。ワタシは自宅。ボラ活動をする仲間が増えると、人より現地に行けない自分へのジレンマだったり悔しさとの戦いも同時にあったりする。それでも行ける時に行く準備をしていこうと思う。

 

死傷者がでないこと、被害が広がらないこと、必要な物資が必要としている人に迅速に届くことを祈っています。

 

活動するすべての方たちがケガなく作業を進められていきますように。

バレー歴だけは長くなってきた今日この頃。もちろん日々バレー漬けということではないしもはや趣味のレベルだけど。それでもバレーやるも観るも熱くなるのは変わらず。そんなモチベーションがまだ持ててることには自分でも嬉しいかな。

今年もバレーワールドカップは楽しんでます。
とは言え、何の流行りに載せたいのかポジションや攻撃・守備の名称を実況のアナウンサーが次々と使い倒しているのがあまり好きではない。名称が色々あることには理由がある、ということはスポーツ関連の記事で読んだからうっすら理解はしたつもりだけど。でもその世界で勝負する人たちが必要に応じて使い分ければいいだけではないかと。

あくまで娯楽として観ている人、純粋にバレー競技の勝ち負けを観てる人に必要なのかな。自分がいらないと思うからそう思うだけでいち意見ですけども。
それともこんな風に思うこと自体バレーやるものにあるまじき感覚なのか。

 

このことに限らず、なんだか単純にしていいことをわざわざ煩わしくしていることが、たくさんのシーンで目立っていると感じる。

香港のデモが起こった当初、恥ずかしながら状況を理解できていなかった。それでも自分たちの居場所を守るために行政に対して声を上げている中に若者が多いことが、【日本ではない光景だ、すごい】と思ったのが最初の印象だった。

政治に比較的詳しいダンナ様に聞きながら、ネットで読みながら少しずつ状況を知っていくという感じだったが、今日、事態が変わるニュースが。それでも、それですべてが元通りになるとは到底思えない。それくらいの大規模デモとそれに対する弾圧だったと思う。

 

私は未だついていけていないのだけど、しっかりついて行って知ろうと思ったきっかけは、香港在住の友人が今後移住を考えていると聞いたことがきっかけ。まだ2歳の子供をこれから育てていく上で考えていかなければいけない、という言葉を聞いて自分と変わらない年齢で子育て中の母親で仕事していて・・という友達の彼女がすぐ近くの国でそういった状況にあることがショックで、急に今回のことが身近に感じられたから。

情勢がどうなっていこうと、彼女と彼女の家族と周りの人々の平和を祈ります。

PC変わってもデスクトップトップにアメブロアイコン置いてたけど、何度となくやろうと思ったけど、

お手軽お気軽(?)SNSの方が楽ちん♪ということで気づけばアメブロ最後のアップが二年前。

ダメダメだ~ワタシ。でも自分の振り返りだしまぁいっか。

 

なるべく制限していたつもりだけど結構身近な人たちと【ともだち】になっているSNS。

たまに窮屈というか、なんだか制御を感じる時がある。反応に対して???と思う節もある。

誰がどうコメントしようがいいねしようがその他スタンプしようが自由なのだけど。

 

そういう意味ではこのアメブロページが完全開放スペースな気がしてちらりと戻ってきた次第です。

2011年の東日本大震災。
発生からしばらくはどのチャンネルもACジャパンのCM以外ひたすら被災地の報道が流れる毎日。

そしてワタシは遠く離れたところでテレビの情報を観るだけの毎日。

でも発生から数週間もしないうちにボランティアの方の映像が目に飛び込んできた時には経験もなく当てもないというのに「ワタシも行こう」という思いがすぐにうまれ、そして調べに調べ乗り込んだ被災地。

 

そこからボラ活動に参加することが自分のタスクとおこがましくも思いながら調べて行って作業し、もどっては次回の予定を考えるというサイクルだったような気がする。「ような気がする」というあたりでワタシが東北に訪れなくなった期間を物語ってしまうけれど。

それでも被災地の復旧・復興を願う気持ちは常に変わらず、数年たっているからこそ起こっている「被害」や「被災者の方たちの苦悩」を思うとやりきれない気持ちになります。結局気持ちだけじゃん、と自分を責める自分もいるわけですが。

 

仕事の都合をつけてボラ参加するとなるとどうしても単独行動になってしまうワタシだったけれど一緒に作業するボラ仲間さんたちはその一時でも結束が固く、そしてできる最大限の力で現場の作業を行っていました。何度か会う中で友人として連絡を取るようになった人たちもいるけれど、まだ一度も会っていないのに共に活動しているかのようにお互いの活動を知り、励ましの言葉を送りあってきた友人(彼は戦友と呼んでくれます)がいます。出会いは被災者の方のブログのコメントをお互いに載せたところから。

きっかけが震災で繋げてくださったのは被災者の方。地震のおかげ、とは言わないけれど出会えたことは本当に大きく大切なつながりになりました。何度となく一人高速バスに乗るワタシにエールをくださったことか。

 

そしてこのお休み、ついに初対面を果たせそうなのです。

お腹が出てきたなぁと思うようになった頃に考え始めたマタニティウェア。

その時の季節により準備するものは変わってくると思うけど、秋-冬服の準備が必要だったワタシは結構楽で、伸びる素材のヒートテック+Lサイズのロングシャツorチュニックでも十分やっていけた。準備したのはパンツくらい。私服勤務だったからさすがに毎日同じパンツははけないなぁと思っていたけれど少し前に出産した友人が譲ってくれた二本と自分で購入した三本で十分まわしていけた。あとはマタニティ用のタイツ。

 

あとは妊婦帯=腹巻。なんでもよさそうだったけどなんとなくお店で営業されてこれくらいはお金出してもいいか、と購入。これ↓

http://www.baby-angel.net/shopbrand/001/005/X

某イオン内で購入。商品はどれもほかに比べると高かったけど質は良さそうな感じだった。あんまりけちらなくてよかったらこれで揃えてもよかったかもしれないけどケチった(笑)あったかくて軽いけどちゃんとお腹支えるって感じでワタシは良い買い物したなぁという印象です。とくにパンツばっかりだったからつけやすいのがよかったんで。

 

そんなわけで、雑誌にあるほど買わずとも何とかなるものだし、だいたい着用期間短いからお腹が収まれば何でもいいかなという結論。妊娠前に買ったものの思ったよりでかくて後悔してたGUのLサイズ服も重宝したしうさ。

生後6-7カ月くらいから始めた離乳食。スタート当初から結構バクバクいくほうで保育園でも食べることに関してはお褒めをいただいた息子=シュウ坊。「ママがちゃんとやったからよー」と先生に褒められてとっても嬉しかったけど正直何もしてないのでなんでミルク以外の異物を口にいれることに抵抗がなかったのか不思議だった。意識したと言えば、食べるところを見せていたことかな。たまに一緒になって口あけたり口を動かす真似をしたりしてたっけ。

 

離乳食スタートから完了期までけっこう順調に進んでたのだけど、完了期(というよりほぼ普通食)になってもう一カ月ちょっとくらいかな。なんだか最近固めのおかずを口から出す癖が。ちょっと固いかなーと思って小さく切ったりするけどなんかダメ。前は食べてたのに?というものまで。「結局今日食べたのは味噌汁とゴハンだった」ということもあったり。誰からも「よく食べる子だね」といわれてただけに食欲低下(?)が心配になりいつものようにネット検索すると同様の不安を抱えているママさんたちがいっぱい!そしてそれ以上に「心配しなくて大丈夫」と思えるようなアドバイスがいっぱい!!

ゴハン食べるだけマシ、という結論に私の中で至りました。

そんなことから二日。

いつも口からべーと出す野菜たちを細かくしまくって炒めまくって作ったチャーハンをいつもの倍平らげたシュウ坊。結構あっさり食べたのね、と少し気が抜けましたわ^^;うん、やっぱそんなに気にしなくてもいいのかもしれない、と早くも実感しました(笑)

夜寝てる息子くんの体がなんとなく熱いことに気づき体温測ったら39.0度。とりあえずは寝られているからアイスノンで首もと冷やしつつ就寝。

翌日熱は下がらず保育園&仕事を休み病院へ。喉が赤いらしく溶連菌の疑いで検査するも陰性。鼻水も出ていたのでそのあたりの(?)薬もらって帰宅。いつもと明らかに違うぐずり方。食欲はあるんだけどイマイチ乗らないのかちょこちょこぐずる。それもまた珍しいこと。ほとんどだらだら横になってるような感じでその日を過ごした。本人もしっかり寝られず逆に疲れている様子。

さらに翌日。少し熱が引いた様子で37.3度。半ば強引なプラス思考で保育園連れて行くも1時間半後には【39.0に上がりました】、との一報。迎えに行くまでには40.0度にも達したそうでそれはこれまでにはない高熱だったからさすがに心配になり再度病院へ。でも【細菌(ウイルス)性のものは高熱が出る】との診断で坐薬もらうのみ。一向に熱が下がらないのでネットなどで調べてみたところ該当するようでしない、そんな情報でした。ダンナ様にヘルプしてもらい坐薬を入れたところ少し落ち着いて眠りに入ってくれた。

また翌日。熱はやっぱり下がらない。実家が他県なので、唯一頼めそうと思い浮かんだ友人のママ。(なんと保育士)日頃から気遣ってくれるその方に甘えて1日預かってくれることに。途中、状況連絡をくれる中でどんどん上がる熱★相変わらずお昼にもたせたランチはしっかり食べたようだけどお迎えに行った時には疲れたような眠いようなだるいような表情。

結局、翌日その翌日も熱がある状態は続き、発熱から5日目の夕方。この分じゃ週明けまた休んで病院かーと思いながら熱を測ると微熱くらいに下がっている。おや?と思い服をめくるとお腹周りに発疹らしきもの。これはもしや、以前に未遂で終わった突発性発疹ではないか?と思いつつ、6日目の朝。

体温36.0度。
顔色普通。
お腹&背中&太ももに発疹。
→病院の診断で突発性発疹と断定。

発疹で機嫌が悪いかも、と言われたけど息子くん鈍いのかノーリアクション。そして発疹は翌日には消え、同時に息子くん元気になっていく★
サイトで読んだ突発性発疹の例と比較すると熱も高いし発熱日数長かったようにも思えるけど、なんにしても回復したので良しとしてます。

こうやって色々かかっていくんだな。
頑張れ息子くん、頑張れ幼児たち。
数日前の深夜に突然39度超えで発熱。翌朝様子みたけど下がっても38度台後半というところで仕事休んですぐ近くの病院行くも、とくに細菌・ウイルスなど問題なし。熱が辛いのかあまり見られないグズグズが続く。起き上がって泣いたり、横になってボケーっとしたり。それでもゴハンの準備するとスタスタっと自分のイスに座るあたり少し安心。

翌朝微熱まで下がったため、強行かとも思ったけど保育園へ。
嫌な予感的中、1時間半後、発熱したと電話を受け、とりあえず手元の仕事片付けて平謝りしつつお迎えに。とにかく連日高熱が初めてなのでまた病院へ。でも結局診断は同じ。(そりゃそーだろーな)

赤い顔でグズる息子がかわいそうなのと
つきっきりでも何もできずいる虚無感と
入ったばかりの職場を休んでる罪悪感と
なんでこういう悩みを抱えるのがワタシだけなのかという不満と

そんな思いがぐるぐる

早く治らないかなー