映画ファインディング・ドリーが16日に公開される。Webによるとあらすじは下記のとおり。

 

ある日ドリーと二モは一緒に遠足に参加するが、突如ドリーが逆流に飲み込まれてしまう。そのとき彼女の中に昔の思い出がフラッシュバックのように蘇る。しかしその謎に包まれた思い出を解く手がかりは、ドリーが寝言でつぶやいた「モントレー(カリフォルニアの港町)の宝石」というキーワードのみ。

そしてドリーはニモとマーリンに家族を捜す旅に出ることを打ち明ける。

「本当に寂しいの。みんなに会いたいの」というドリーにため息をつくマーリン。「パパ、僕たちも一緒に海を渡れるよね?」とお願いする息子ニモへは「だめだ」と言うものの、彼はある仲間をドリーに紹介する。

その仲間と共に、ドリーは一歩を踏み出すのだが…。

 

また、ディズニー・シーではこれに合わせてファインディング・にもシリーズの新アトラクションも登場するようである。(http://ciatr.jp/topics/40989より)

 

このファインディング・ニモシリーズでは「できない」を傷がいではなく個性だという社会性のあるメッセージも含む。ドリーは忘れっぽく、ニモは片方のひれが小さい。このシリーズには障がいを持つ生物がよく登場している。本作でマーリンはドリーの記憶力が続かないことを「欠点」ととらえるが、ニモは記憶に頼らず、その場の状況を瞬時に判断するドリーの能力を評価し、父親を改心させる。(中日新聞より)

世の中にはたくさんの種類の障がいがあるが、それをもとにどう生きていくか、ということは人生の大きなテーマの1つではないだろうか。「この障がいさえなければ…」とマイナスに考えてしまいがちだが、同じ障がいを持つ人やそうでなくとも色々な意味で身体的弱者に寄り添って考えやすいのは何らかの障がいを実際に経験している人物ではないだろうかと私は考える。

障がいを個性ととらえる考え方は素晴らしいと思う。この考え方を持つ人が、ファインディング・ドリーを通じて少しでも増えればうれしいなと感じる。