モチベーションやインセンティブの話には「お金」がつきものである。
そして「お金」を考えるときに一緒にでてくるものはいつも「倫理」である。
全てのものをビジネス化できるからこそ一度立ち止まって考えるべきことが「それをお金で買いますか?」
効率が良くなるから、皆が動くようになるから、損する人がいないから、あらゆる理由で全てをビジネスにするべきなのでしょうか?
私たちは普段から「世の中にはお金で買えないものもある」と考えています。
例えば真の愛情や何かを成し遂げた誇りなどはお金では得られない満足感を与えてくれます。お金で買った表彰状には価値はないですよね。
しかし、この世で実際に売買されているものについてはどう思うでしょうか?なんでもビジネス化できる時代です。
例えば、
・刑務所の独房の格上げ
・臓器売買
・名医の診療を優先的に見てもらえる権利
・人の死で儲けるバイアティカル産業
多様な価値観の時代だからこそ、一部の人はそれらの売買は問題ないと考えるでしょう。しかし多くの人がこうした事例について懸念を抱くだろうし、中には嫌悪感さえ覚える人もいると思います。
印象的なものはバイアティカル産業と命名権が印象的でした。
バイアティカル産業では、加入者が亡くなるのが早くなればなるほど投資家が儲かるという仕組みで成り立っています。詳しい説明は省きますが簡単にいうと加入者が生きている間は自分が生活費などのお金を払い亡くなったら生命保険分をもらうような考えです。人の死をビジネスで取り扱っている例は今までもありました。例えば死体回収人などがそれです。しかし死体回収人とバイアティカル産業の大きな違いは、死体回収人はどんな死でも彼の生計を助けていますが、バイアティカル 産業では投資家は特定の誰かの死を儲けにしているという点です。否定的な方も多いかもしれませんが、生命保険が人の生で儲けを得ているなら、人の死で儲けることを考える人もいるはずです。人の生は儲けの種にしてもいいのに、何故人の死は儲けの種にしてはいけないのでしょうか?どこまでが許されるのか考えさせられます。
命名権の売買
スタジアムやアリーナ等のスポーツ施設にスポンサー企業の社名やブランド名を名称として付与する権利で、「命名権」とも呼ばれています。米国では1990年代後半から、急速に広まり、野球場やアメリカンフットボール場の多くがスポンサー名の付いたものに変わりました。ちなみに、シアトル・マリナーズが本拠地をおく「セーフコ・フィールド」は保険会社名が冠せられています。日本では、調布市の東京スタジアムが2003年3月1日より5年間の契約(12億円)で「AJINOMOTO STADIUM」という名称に変わり、これが国内の公共施設としては初の事例といわれています。
アメリカではホームベースへの滑り込みにさえ、今では企業のスポンサーがつきます。生命保険会社ニューヨークライフインシュアランスカンパニーは選手がベースに無事に滑り込むたびに宣伝のスイッチが入るようメジャーリーグの10球団と契約しています。例えば、ランナーがホームに生還したと審判がくだるたびに会社のロゴが画面に映り、実況アナウンサーは「セーフです。安全と安心。ニューヨークライフ」と言わなくてはならないのです。
他の例ですと、2011年ヘイガーズタウン・サンズは選手の打席の命名権を売ったのです。
チーム随一の打者ブライスハーパーの打席になるとアナウンサーが告げます。「さぁバッターはブライスハーパー。この打席の提供はミスユーティリティーです。掘る前に811にお電話をお忘れなく」
他にもホームランにスポンサーがついており、投手交代の命名権を持つ企業もあります。
この話を聞くと私は思わず笑ってしまいますが、広告というのはあらゆるもので成り立ってしまいます。今やレンタル自転車にも広告が付いている。だれも損してない良いのではと思う方は次の例はどうでしょうか??
2001年男児の出産を控えた夫婦が息子の名前をeBayとYahooのオークションに出品しました。二人が期待していたのはどこかの企業が息子の命名権を買うこと。結局、50万ドルという希望価格で買う企業はいなかったため普通の名前を付けたという事例もあります。
子供の命名権を売るのは間違っているが、ホームランをうつ命名権は良しとするなど、どこまでを市場に持ち込んでよいのかは人によって異なる考えです。子供の同意がないから命名権を売ってはいけないという主張があるかもしれないけれど、普通の名前にでも子供の同意はないのです。
お金が絡まない方がうまくいくことも多くあります。それは道徳心をくずぶるからです。その一つのアメリカの事例がこちらです。
定年退職した人のためにアメリカの退職者協会が弁護士協会に対し、1時間3千円で退職者の相談にのってくれないかと依頼したところ、多くの弁護士はこの依頼を断りました。ただ、報酬ゼロでお願いをした弁護士はギャラを払う依頼の時に比べ、多くの人が依頼を引き受けました。ギャラが発生する依頼の場合、市場規範が働き弁護士は自分が1時間3千円で仕事をするのは安いと判断し、断りました。
ギャラが発生しない場合は道徳的行いという観点でとらえるので。多くの人が依頼を受けました。
社会規範と市場規範は交わっては中々行きません。社会規範と市場規範について知りたい方はダンアリエリーさんの「予想通りに不合理」がおすすめです。
何もかもビジネスにできる時代ですが、人は道徳心で動くこともあるのです。お金が絡むと人は利己心が強くなります。
私たちが望む世界は何でも売り物にされる社会か、それとも市場では評価せれずお金では買えない道徳的・市民的善なのか?色々考えさせる話でした。
