誹謗中傷、アンチの悪意しかないデマ、なんでこんなことするのだろうと最近思うことが多々ある。
自分はそもそも被害者でもないのに、第三者をたたく。しかも、正論であるかのようにたたいているが全くのデマであることが多い。それによって利益が出ているのであれば少しばかり理解はできるが(全く共感はしないが)何もプラスが起きないのに人もしくは企業をたたいている人を目にする。
私が応援している企業も尊敬している人もたたかれていることがある。何も実態を知らない、そして知ろうともしていない人たちに。彼らは仮に真実を知ってもそれを広げないだろう。
他人に正義の制裁を加えると脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質である「ドーパミン」が放出される。ここでいう正義というのは正論というよりは「自分が正しい」つまり正義は一つという考えだ。長い人類史上進化の過程で人は自分の所属している集団以外を受けいれられず攻撃するようにできているようだ。自分の属する集団を守るために他の集団をたたく行為は正義であり、社会性を保つために必要な行為と認知されている。攻撃すればするほどドーパミンが出るのでやめられなくなる。
そしてSNSの場合は「いいね」機能で他の正義中毒者の賛同を得られることも多くあり、この快楽にはまると更に抜け出せなくなる。
これはアンチだけではなく誰もがそうなる可能性がある。例えば自分の身近な人がアンチにたたかれたら、やり返してやりたい、許せない、同じ思いすればよいのになどという気持ちになることはないだろうか?これも正義中毒なのである。
私自身も非常に共感する。
人はいったん他者に対して態度を明確にすると、その態度を維持したいという気持ちが芽生える。言動に矛盾のない人間に見られたいのだ。つじつまのあった行動というのは基本的に個人にとってプラスとなることが多い。逆につじつまの合っていない人は、気まぐれ、あてにならない、流されやすい、注意散漫など評価されかねない。体裁を保つために、主義主張が公になればなるほどそれを変えたくなくなるのだ。
約束を公にすることでその後はなんとしてもその約束に矛盾しない行動をとるようになる。それを如実に示す例がある。
2人の著名な社会心理学者モートン・ドイッチとハロルド・ジェラードが行った実験だ。やり方はこう。まず、被験者である大学生たちに提示した紐の長さを各自心の中で見積もらせる。この時第1のグループには、最初に考えた長さを紙に書き、そこに署名をして提出させます。各自の考えを公にさせるのだ。第2のグループにも、最初に考えた長さを書かせます。ただし、書くのは各自に渡しておいた小さなホワイトボードの上でしかも書いたものは誰にも見られないように消させる。そして第3のグループですがこのグループは最初に考えた長さを一切公表しない。考えを公にさせたグループ、自分にだけわかるように書かせたグループ、一切表に出させないグループと被験者を分けた。その後被験者たちには最初に考えた長さが間違っていたと知らせた。その結果、最初の考えに最も固執するのはどのグループか明らかにした。最初の判断が間違っていたことを告げる新たな証拠を全ての学生に提示した。そしてもう一度見積もりなおす機会を与えた。結果は明白だった。まず最初の考えに最もこだわらなかったのはそれを一切公表しなかった第3のグループ。新たな証拠が提示され、ずっと心の中にしまっておいた考えが怪しく思えてくるとこの学生たちは阿多田に得た情報に感化され、それまで「正しい」と思っていた答えを変えた。第3のグループに比べ、第2のグループは考えを改める機会を得ても積極的にそうする学生の数はかなり減った。自分が書きだした考えは誰にも見られないようにしていたにもかかわらず、書いたことで最初の考えと相容れない新たな情報に感化されることを拒み最初の考えとつじつまをあわせようとしたのである。そして自分の考えを執拗に貫いたのは第1のグループだ。この学生たちをこれほどまでにかたくなにさせた物こそ「考えを公表する」と言った行為である。
公に考えを公表するのはSNSがあればとても簡単である。更に正義中毒に駆られている状態で人を攻撃したい人を味方につけ「いいね」をもらえば、その意見はかたくなに変えられないだろう。
そして更に悪いことに自分の意見が正しいという根拠を集めるようになるこれを「確証バイアス」という。バイアスについてはまた後日にするが、わかっていても自分が信じたいもの、正しいと思っている信念に対峙する情報をとるっていうことは難しいと自身も思う。
ただし、「人は公表した自分の決断にこだわる」というのは善用もできる。悪い習慣をやめようとしている人達にはうってつけだ。例えば、減量。減量しようとしても人の医師は弱く簡単に負けてしまう。そこで減量という目標を書かせ、公表する。プライドが高い人ほどこれは効果が見られそうだ。
また、日本人は議論に慣れていないので、意見が対立すると対立意見を人格否定ととらえやすいようだ。これも私はとても共感する部分があり、基本的にフィードバックを受けることがとても嫌いだ。(笑)だから本や動画から論破されるのが好きなのだが。ネットフリックスの話でもあったがフィードバックはする方も「人格」ではなく「行動」そして受け取る側も「感謝」をすることが大事だ。これについてはまた今度
