なんか最近色々チームに所属している気がするが、できるチームとはいったいどんなチームなのだろうか?
この答を探し求めていた考察があった。
エドモンドソンは都市部にある二宇野大学病院の8つの医療チームを半年間追跡した。結果を見た彼女はパフォーマンス(治療の質、協力関係、効率性、リーダーシップなど)の高いチームの方が多くのミスが報告されたことに戸惑った。しかしこのデータをじっくり検証した彼女はこの驚きの結果の理由を突き止めた。パフォーマンスの低いチームの方が医療ミスが少なかったのは単にそのチームがミスを犯しても報告していなかったからだった。報告しなかった理由は実に単純で、看護師たちがミスの報告を恐れていたからだ。報告すれば「裁判にかけられ」「ミスを責められる」とエドモンドソンに語った。反対にエドモンドソンの研究における一番のパフォーマンスの高かったチームつまり最もミスが多く報告されたチームは看護師たちがミスについて安心してオープンに語っていた。そうしたチームでは心配することなく看護師長に問題を報告していた。エドモンドソンは安心して互いに助けを求め、ミスを認め合い、厳しい話題を持ち出せる共通意識を表現するにあたり、心理的安全性という言葉を作り出した。
HSP気質があり、空気を読みまくる私にとって、これはかなり共感する。ミスをちゃんと報告できるには安心してなければならない。
Googleのピープル・オペレーションズ・デパートメント(人事部)も完璧なチームを築くのに必要な要素を探る5年間の研究プログラムの末、似たような結論に達した。初めのうち組織心理学者、エンジニア、社会学者、統計学者たちがチームを成功させる要素について何千もの調査に目を通したもののその答えに特定のパターンを見出すことができなかった。そこでアプローチを変えグーグルの何百ものチームについて人間性やバックグラウンドや仕事のスタイルといった要素を調査した。しかしそれでも答えが見いだせなかった。内向的であろうが外交的であろうが、専門家であろうが博識であろうがまるでチームの構成(どんな人がいるか)は関係ないように見えた。興味深いことにグーグルがこのテーマについてブレイクスルーとなる情報を得たのは「どう」という部分を検証し始めてからだった。つまりチームの取り組み方を支配する明文化されていないルールを検証し始めたのだ。調査結果は15年前にエドモンドソンが医療チームを研究した際に発見したものと同じだった。心理的に安心感を抱いているチームの方がそうでないチームに比べて一貫して優れたパフォーマンスを発揮していたのだ。
心理的安全性は信頼だけでは十分ではない。心理的安全性のあるチームは互いへの尊重や思いやり心づかいがある。それを実現するには互いのことを弱点や欠点を持つ生身の人間だと認識する必要がある。実際、グーグルによるリサーチでは心理的安全性を育むのにもっとも大きく貢献する要素は「弱さを見せること」つまり自分の欠点を進んで周りに認めることだと判明した。しかもそれはトップから始めなければならない。
確かにとても納得した。他の本にもこんな話がある。
優秀な人はコーヒーをこぼせ
実験は大学生にラジオのクイズ番組の予選風景を録音した場面を聞かせて、そのクイズの回答者に対する好感度を尋ねるというものだった。録音には二種類があり、回答者は秀才か凡才のいずれかの役を演じた。秀才版の録音では番組の冒頭で司会者が高校時代のプロフィールを紹介した時に回答者は卒業アルバムの編集委員で、成績も優秀で陸上部の正選手であったことを謙虚に認める。これに対して凡才版では成績も普通で卒業アルバムの校正委員で、陸上部の補欠だったことを認めた。秀才は難問奇問のクイズに対して実に92%も正解したが、凡才は30%しか正解できなかった。この録音を聞いた大学生の半数はここで二人に対する好意度を解答。残りの半数の大学生には番組の終了後の消し忘れた録音も聞かされた。この部分では秀才も凡才もクイズの回答者に対して差し出されたコーヒーを落としてしまうという失態を演じる。「しまった。新調したスーツにコーヒーこぼしてしまった」と。さて、大学生はここで秀才と凡才に対する好意度を回答する。秀才も凡才も失態がない場合には好意度にあまり差はない。しかし、秀才は失態をした時に好意度が上昇したのに対し、凡才は失態によって好意度が低下した。人は自分より優れた人に尊敬はするが、自分と同じくらいの人に親近感がわく
優秀な人がミスをするとこの人も「自分と同じ人間なんだ」という感覚になる。大衆扇動について調べていた時も一般化することが大事と書いてあった。例えば、大統領があえて一般的なファーストフードを聴衆に見えるところで食べる、そうすると身近に感じることができるのだ。
人を動かすということについてはまた今度
