最近応援している企業のアンチのつぶやきを見ることが多いが、因果関係が全くないところに、勝手に因果関係をつけて人をたたくことが好きなようだ。

そもそも全く関係のないことをなぜ結び付けるのだろうか?

面白い話がある

 

赤のライトと緑のライトのン前に座ってもらう。調査社は被験者にどちらのライトが付くか当ててもらうようお願いする。最初のうちは中々当たらない。パターンは無いように見える。実際パターンはない。どちらのライトが付くかは被験者に知らされていないが、ランダムである。だが時間がたつにつれて、ある法則があるように思えてくる。赤のライトの方が緑のライトより頻繁につく。事実その割合は赤は80%、緑は20%。この状況になると被験者はより多く光るライトの傾向に合わせて答えるようになる。つまり、80%赤と推測し、20%を緑と推測する。実際被験者は光の「パターン」に合わせようとする。しかし、どちらが点滅するかはランダムである以上それは不可能だ。いうまでもなく、この実験ではあまりいい正答率ではない。しかし、ハトやネズミや他の動物は違う。同じ実験をすると違う戦力がとられる。赤の方がよく光るのだから、彼らは単に赤を繰り返し選択する。それによってずっといい結果が得られる。合理的は判断をするはずの人間がそうしないのはなぜなのか?

 

左脳が物語を生む。

カリフォルニア大学の神経科学者、マイケル・ガザニガは画期的な実験をした。ガザニガは数十年にわたって重い癲癇の治療として、右脳と左脳の接続部分を切断した人たちを研究してきた。こうした「分離脳患者」はほぼ問題なく日常生活を送ることができる。だが、半球はそれぞれ認知、市呼応、行動と言った違う面をコントロールするので、この2つを切りはなすことでびっくりするようなことが起こる。研究者にとって最も重要な事実は片方の半球は機能させずに片方の半球にだけ情報を伝えることが可能だということだ。例えば片目にだけ情報を見せるといったことである。ガザニガとその仲間が分離脳患者の左脳に対して赤と緑の実験を行ったところ、健常者とさして変わらぬ結果を得た。パターンを見つけようとして散々な結果に終わった。しかし右脳に対して行うと驚きの結果が出た。ネズミや他の動物のように何度でも赤を推測し、はるかにいい結果を出した。ガザニガにとってこれは長年研究していたアイデアの重要な証拠となった。脳の左半球には(左半球だけには)彼が「解釈装置」と呼ぶ神経ネットワークがある。この解釈装置によって物事の意味を理解できるのだ。脳が認知などのプロセスを超高速でこなした後、この解釈装置が出てきてすべてを説明する。「左脳に絶え間なく解釈する能力があるということは、左脳が常に秩序と理由を求めているということだ。たとえ実際には存在しなくてもとガザニガは述べている。この解釈装置は実に巧妙にできている。しかも執拗だ。絶対にあきらめない。「必ず」説明があると食い下がる。

 

ある実験でガザニガは分離脳患者に対して、左脳と右脳にそれぞれ別の映像を見せた。そして、映像を見せた後、机に並べられた写真から先ほど見た映像に結び付くものを選ぶように指示した。実際の実験で被験者の左脳に見せられたのは鶏の爪先の映像である。右脳に見せられたのは雪景色だった。そして机には鶏の写真と雪かき用のスコップの写真があった。患者は左手でスコップの写真を選んだ。左手をコントロールするのは右脳なのだから、雪景色の映像から連想される写真を選んだというわけだ。当然ながら左脳が見た鶏の映像とは関係はない。しかし、なぜその写真を選んだのかを聞いてみると理由を持っていないはずの左脳が機能して患者は自信をもって答えた。「簡単だ。鶏の爪とくれば鶏だ。で、鶏小屋を掃除するのにはスコップが必要だろ」左脳は苦も無く鶏の爪先とスコップという何の関連性も持たないものを結び付けたのである。

 

とても面白いと思った。恋愛でいう認知的不協和、吊り橋効果もこれであろう。吊り橋がゆれてドキドキしている理由を脳みそが勝手に理由付けをする。

 

人間はパターンがないものをパターンに当てはめることが好きなようだ。「大ピラミッドは世界の歴史を正確に予言した。しかし、人間がパターンを見つけてからはあてにならなくなる」。結果が出ているものに秩序を見つけることは、人間は得意のようだ。スポーツの結果が出てから、敗因や勝因について語ることは私でもできる。あたかも最初から知っていたかのようにすら思えてくる。これを後知恵バイアスという。それについてはまた。