先日、弟・武士が新しい技の開発中に転倒。
首を痛めて、いま、今月フランスで開催の試合に向けて毎日戦っている。

怪我はヘルニア。
首の脊髄を圧迫して、手に若干の痺れがあるとのこと。
おそらく数日で良くなると思う。

武士は大丈夫。🖐
きっと今月フランスで開催される試合にも出れる。

脊髄の場合、ダメージが深刻になるにつれて上半身(腕)から下半身に痺れがいく。手の痺れはそれほど酷くない。

僕はこの怪我を理解している。
僕も23歳の時、アメリカにて試合中の大技で頭から転倒…。
同じく首のヘルニアで首から下の感覚が消えた。つまり全身が麻痺した状態でベッドに寝たきりとなった。

寝返りがうてないどころか、自分で布団を動かすこともできない。足も手の指も動かない。ただベッドに寝ているだけ。着ている服が痛かった…。

あのときの恐怖心、喪失感を僕は一生忘れない。
心のどん底にスーっと沈み続けていく感覚が忘れられない。

アスリートとして、インラインスケーターとして、まだやらなきゃいけないことがたくさんあった。そのことを考えると、やりたいことをやってきたつもりが、後悔しかなかった。

もっとチャレンジしたかったことはあるし、人に伝えたかったこともあった。

何より、自分自身の人生を極めたかった。
入院先の病院までアメリカの友達が見舞いききてくれた。何を話したのかは覚えていない。もう全く別世界の人たちのように思えた…。

家族に頼んで日本に帰国することにしたけれど、歩けないので車椅子で病院から逃げるように帰国したことをうっすら覚えている。

日本に帰国後は、数え切れない数の病院を訪れた。
どの先生も当時の僕の状態を見て「インラインスケートはもう履けません」と言った。そんな危険な遊びはやめなさい、とも。

"遊び"じゃないんだ…。
僕にとってインラインスケートはこの人生そのものだ。
それをしっかりと理解したうえでアドバイスをくれる先生を探した。

きっと、もう一度頑張るきっかけが欲しかったのだと思う。
アスリートに戻れなかったとしても、伝えたいことを伝えるためにもう一度インラインスケートが履きたかったのだと思う。

徐々に身体の感覚が戻り、私生活に支障がなくなった頃、NHKの取材で知り合った整形外科の先生に唐突に「エイトさんは大丈夫!滑っていいです!」と言われた。

「万が一、また頭から転倒して身体が動かなくなった時には手術をします。だけど、いまは手術をせず、これから首を鍛えればアスリートに戻れます!」と。

あの言葉には本当に驚いたし、怪我以降はじめて世界が明るく見えた。神様かと思った。

そして、結果的に僕は2020年までアスリートを続けた。
世界を飛び回る生活を取り戻し、再び奇跡を見て回りながら、やり残していたもう一つのことを始めた。

インラインスケートの素晴らしいを伝える仕事。
最強のトレーニングとしての魅力を、たくさんの人の人生に役立たせてもらいたい。不思議な焦りの中、アメリカ遠征中のホテルでまず「ASCスクール」のホームページを作った。

アクションスポーツで人々の世界をワクワクさせるというミッションは、先生になってもアスリートやパフォーマーと同じだと理解した。やり残した仕事に4年をかけて引退を決意。ありがたいことに仲間からは早いとブーイングを受けたけれど…、もう散々背伸びをしてきたのだから後悔があるわけない。

インラインスケートから世界の広さを知り、そこで出合った人たちに教わった親切を、次は僕が教室で出会う子供たちに返していきたい。


武士にはもう少しアスリートとして頑張って欲しい。
今回の怪我はこれまでの怪我とは違う種類のもので、治ることない怪我に対して不安に思うこともあるだろうけど、大丈夫!手のしびれは湿度によって出てくるほどの症状で、大したことはない。

だから、もう一度頑張ってきて欲しい。
"安床ブラザーズ"であるプレッシャーを楽しんできて欲しい。他にない贅沢な経験なのだから。エアーでぶっ飛ぶだけで良いから、頑張れ。

怪我から学ぶことはたくさんあるし、
痛みから気付くことや身につく強さもあるわけで。

だから、兄は好き勝手言います。🙏