私は「信仰だけではいけません。信仰に知識を加えなさい」と申し上げていることは事実ですが、その段階をさらに進むと、その知識にも3次元ゆえの限界があるために「信じる」しかない段階に至ります。

全てを理性で片付けるわけには行かなくなった時、直感的洞察力の必要性が生じます。


地上のいかなる賢人も、問題のすべてに対する回答を手にすることはできません。

3次元の世界に閉じ込められている以上、叡智の全てを手にすることは不可能なのです。

その3次元の殻を破らないことには悟れない事があるのです。

そこに「信じる」ことの必要性が生じるわけです。


夢の話。


地球の地上は危ないからと、

この時間になったら、

地下5階より下に行けとの事。



この事を知らない人は多くて、

普段通りに生活している人も。



半信半疑で、

下に降りて行く。


そして、その時間が来た事を知る。


知りながら地上に残っている人もいるから、

情報は得られる。


しばらくして、

母が亡くなった愛猫と共に普段のように

「ただいま〜」

と帰ってきた。


よく考えれば、もしかしたら、

私が既に天国にいるのかも。


人が亡くなる時、

ドラマで見るようなお迎え現象ばかりではなくて、

いつの間にか天国いて、

穏やかな日常を体験するのかもね。