大滝詠一「EACH TIME」解説

 

 

1 ナックルボールとTシャツに口紅
2 ナックルボールとNINJIN娘
 

 

第1章 ナックルボールとTシャツに口紅

 

ラッツ&スター 「Tシャツに口紅」

 

ラッツ&スターへの提供曲「Tシャツに口紅」は「恋のナックルボール」の兄弟曲でもあります。

 

書籍『大滝詠一 レコーディング・ダイアリーVOL.3』では、その「Tシャツに口紅」に関して、興味深い事実が三つ明かされています。

 

一つ目は、「Tシャツに口紅」のイントロで鳴っているギロは、大滝さんが自ら演奏しているということ。

 

 

二つ目は、アルバム「NIAGARA SONG BOOK 2」の収録曲として「Tシャツに口紅」のストリングスが録音されていたものの、未発表であること。(同様に長く未発表だった「ガラスの入江」のストリングス版は、2020年の「Happy Ending」に収録されました)

 

そして三つ目は、その幻の「Tシャツに口紅」の“NIAGARA SONG BOOK 2バージョン”では、転調後の

 

♪ これ いーじょ / お~ / 君を不 / 幸に~ 俺 / 出来な / いーよとポツ / リと / 呟けば

 

にあたる箇所で、「冬のリヴィエラ」のサビの部分のメロディがハモンド・オルガンで弾かれていること。

 

♪ 冬の リ / ヴィーエラ / 男って / 奴はー / 港を / 出てゆく / ふーねの / ようだねー

 

 

森進一 「冬のリヴィエラ」(↑クリックorタップしてお聴きください)

 

「Tシャツに口紅」のヴァース(サビに至るまで)のコード進行は、まるまる「冬のリヴィエラ」のサビのコード進行と同じです。
その「冬のリヴィエラ」のフレーズを、ネタばらし的に「Tシャツに口紅」へ挿入したというわけです。

 

そのコード展開のルーツは、大滝詠一さんの「青空のように」の以下の部分に遡ることが出来ます。

 

♪ 猫の目 / 君の顔 / くるくる変わ / るたび / 僕の目は / 風車 / ぐるぐるー / 回る~よ

 

 

大滝詠一 「青空のように」(↑クリックorタップしてお聴きください)

 

松本隆氏から「Tシャツに口紅」の歌詞を受け取って、大滝さんがいわゆる“詞先”で作曲する際に、サビへ至るまでのヴァースは、「風立ちぬ」(1981年10月)のサビや「冬のリヴィエラ」(1982年11月)のサビで用いたコード進行をそのまま使ったのですね。

 

この“ナイアガラ黄金のコード進行”()を投入すれば、「風立ちぬ」や「冬のリヴィエラ」に続いて、日本の歌謡界で三度(みたび)のヒットを狙えると、大滝さんは目論んだのでしょうか…。

れんたろうの名曲納戸「ナイアガラ黄金のコード進行」のコーナーを参照。

 

さらに“ヒットを狙う”ための要素として、大滝さんが「Tシャツに口紅」にそっとしのばせたのが、カスケーズの「悲しき北風」なのだと思います。

 

冒頭の「Tシャツに口紅」の動画の終盤、4:00~に続く箇所、、、

 

♪ おーれたちをー の こ し てー

 

にあたるのが、カスケーズの「悲しき北風(The Last Leaf)」のラスト部分のメロディではないでしょうか。

 

The Cascades 「 The Last Leaf 」(頭出し済み)

 (↑クリックorタップしてお聴きください)

 

「悲しき北風」を引用するのが、なぜ “ヒットを狙う” ことにつながるのか。

 

上掲の「悲しき北風(The Last Leaf)」の動画を最初まで巻き戻して、歌いだし部分をお聴きください。
 

♪ The last leaf / clings to the / bough
♪ Just / one leaf / That's all there is / now

 

の部分のコード進行が、ラッツ&スターの前身、シャネルズの大ヒット曲の「ランナウェイ」(作曲:井上大輔)の出だしの部分で使われていたからなのですね。

 

シャネルズ 「ランナウェイ」(↑クリックorタップしてお聴きください)

 

ここの部分です。

♪ ランナ / ウェイ(ランナウェイ) / とーても好き / さー
♪ つーれ / て(ランナウェイ) / 行ってあげるよ / お~

 

「イーチタイム」のレコーディングの中断期間に、「Tシャツに口紅」でこの「悲しき北風」のエッセンスを用いたことが、「イーチタイム」のレコーディング再開後に録音した「フィヨルドの少女」やその姉弟曲の「熱き心に」へ、大きな影響を与えることになります。

 

 

小林旭 「熱き心に」(↑クリックorタップしてお聴きください)


♪ きーた / ぐーにー / のー
♪ たーび / のーそ~ / らー
 

ここのコード進行もまた、「悲しき北風」や「ランナウェイ」の歌い出しの部分と同じなのですね。
 

 

そして…、いよいよ「Tシャツに口紅」のサビ。

大滝さんは「恋のナックルボール」のサビを「Tシャツに口紅」サビへ投入しました。

 

アルバム「イーチ・タイム」のレコーディング期間中、「恋のナックルボール」のいわゆる“スローバージョン”のセッション録音日は1983年2月15日で、その後、いわゆる“リリース版”の「恋のナックルボール」を録り直したのは、「イーチ・タイム」発売ギリギリのタイミングの'84年1月12日でした。
 

その間の'83年7月1日に「Tシャツに口紅」のリズムセッションの録音は行われ、同年9月1日にシングル「Tシャツに口紅」がリリースされました。

 

まだ“スローバージョン”の状態だった「恋のナックルボール」のサビは、なんと、そのまま「Tシャツに口紅」のサビへ転用されたのです。

 

大滝詠一 「恋のナックルボール」

 

♪ 恋の / ナックルボール / 変化球 / のー / 指が滑り~

のところが…、

 

ラッツ&スター 「Tシャツに口紅」

 

♪ 色褪せた / Tシャツに口紅 / 泣かなーい / 君が /  泣けない俺を~

 

のところへ使われた…、という具合なのですね。

 

この両曲のサビの転用のお話は、かつて 拙宅HP「れんたろうの名曲納戸」のコーナー でも指摘しましたが、20年余前にこの内容を“研究発表”した当時には、反響が大きかったものです。

 

まだリリースしていないアルバムの中の曲「恋のナックルボール」のパーツを、先に提供曲へ使ってしまい、世間へ公表してしまうということは…。

 

もしかしたら、なんとなく“グダグダ”になった「恋のナックルボール(1st Recording Version)」は、曲ごとお蔵入りになる危機すらあったのかもしれませんね。

 

“恋の”ナックルボールではなく“幻の”ナックルボールになっていたのかもしれません…。

 

しかし、結果的には、大滝さんのひらめきによって、“ナックルボールが幻になる”という事態は回避されました。

 

大滝さんは、「イーチ・タイム」のレコーディングの一環で制作された「スペシャルA」(後の「マルチスコープ」)なる未完の曲と「恋のナックルボール」とを合体させ、かつ、テンポを上げるというウルトラCで、ボツの危機にあった「恋のナックルボール(1st Recording Version)」を見事に再生させました。

 

大滝さんのこの巧みな再生術により、最終的な「恋のナックルボール」のキャッチーさは、“1st Recording Version”に比べて各段に増したと思うのです。

 

 

上述の「恋のナックルボール」の“テンポアップ化”について、興味深い話を2024年春のCRTイベントでうかがうことができました。

 

大滝さんは“曲先”で松本隆氏へ作詞を依頼したメロディに、“ナックルボール”という歌詞が乗って帰ってきて以降ずっと、「テンポを上げなくては…」と考えていたんだそうです。

 

“ナックルボール”だから、速球のビューン!というような軽快なイメージが欲しかったんでしょうね…。

 

ところで、前述の“再生術”で使った「スペシャルA」の残りのパートは、「マルチスコープ(ゆらりろ)」としてこれまた“再生”というか“再利用”されました。
そもそもこの部分のモチーフは、フォー・シーズンズの「デンジャー」なのだと思います。

「デンジャー」の本編が始まってからの歌い出し部分のエッセンスは、「快盗ルビイ」のAメロにも生かされているようです。

 

The Four Seasons 「 Danger 」 (1964年)
 

“フォー・シーズンズ=チャーリー・カレロ” のエッセンスは、結果的に、本ブログの 「EACH TIME」解説#1の回 で述べたように、「夏のペーパーバック」の方へ集約されていったのでしょう。

 

ちなみに、この「夏のペーパーバック」のセッションも録音し直していたことが、今回の「EACH TIME VOX」で明らかになりました。

 

「夏のペーパーバック(2nd Recording Version)」では、チャーリー・カレロばりのカウンターライン()が、鈴木茂さんのギター・シンセサイザーによって16分音符で演奏されているのがポイントです。

EACH TIME 解説 #1「夏のペーパーバック」の回 を参照。

 

ギター・シンセサイザー

 

最終的には「恋のナックルボール」のパターンとは逆で、「夏のペーパーバック」は“2nd Recording Version”の方が不採用になりました。


肝となるチャーリー・カレロばりの “単音引っ張りフレーズ(♪ ッテテ テッテケ)” が、このギター・シンセの演奏だけでは埋没してしまう…と、大滝さんは危惧したのかもしれませんね。

 

次章では「恋のナックルボール」に話を戻して(笑)、この曲の独特なサビの成り立ちに迫りたいと思います。
 

 

第2章 ナックルボールとNINJIN娘

そもそも、大滝詠一さんに「恋のナックルボール」となる曲のアイデアをひらめかせたのには、田原俊彦の「NINJIN娘」の影響があるのではないか、というのが私の推論です。

「NINJIN娘」は、'82年8月に発売された田原俊彦の10枚目のシングル曲です。

当時、「NINJIN娘」は大ヒットしたので、サビの「♪ 一本でも ニンジン ニーンジン」のフレーズは、老若男女に親しまれました。

 

「NINJIN娘」は『ひらけ!ポンキッキ』の8月の「今月の歌」となりましたが、おなじく『ひらけ!ポンキッキ』発でヒットした、なぎら健壱の「いっぽんでもニンジン」の歌詞が巧みに織り込まれています。

 

田原俊彦 「NINJIN娘」

 

「NINJIN娘」は宮下智による作詞・作曲ですが、この曲のサビのルーツとなる音楽について、大滝さんには大滝さんなりに心当たりがあったのでしょう。

 

E 」のキーの曲でサビが「 B7 」のコードで始まる、という珍しい展開のパターンが「NINJIN娘」と「恋のナックルボール」の両曲で共通しています。

 

すなわち、「NINJIN娘」の以下のようなサビの展開が…、

 

♪ 1本でも / ニンジンニンジン2本 / でニンジンニンジン  」

 

恋のナックルボール」のサビの展開と同じになっている、というわけです。

 

♪ こいのー / ナックルボール / 変化球のー  」

 

「NINJIN娘」の歌い始め8小節のメロディの流れは、「君は天然色」や「うれしい予感」の歌い出しと同じ構造になっていますから、それが、大滝さんの気を引いたのでしょうか…。

 

世間で流行っている「NINJIN娘」のサビを聴いて、大滝さんはデイヴ・クラーク・ファイヴを思い起こしたのかもしれません。

 

The Dave Clark Five「 Glad All Over 」

 

デイヴ・クラーク・ファイヴの「グラッド・オール・オーヴァー」の動画の0:22~がサビにあたりますが、「恋のナックルボール」や「NINJIN娘」のサビの部分とちょうど同じコード展開になっています。

 

デイヴ・クラーク・ファイヴの「グラッド・オール・オーヴァー」は、'64年にビートルズの「抱きしめたい」からトップの座を奪って全英シングルチャート1位になりました。
米国ビルボードチャートでも'64年の4月には6位に達し、ブリティッシュ・インヴェイジョンによるビートルズ以外のグループとしては初のヒットを遂げました。

「グラッド・オール・オーヴァー」は日本でも後にシングルとして発売されました。

 

大滝さんはビートルズのレコード蒐集と並行して、デイヴ・クラーク・ファイヴも聴いていたのでしょうね。

高校の三年間(1964年~)は“イギリス勢”6割、アメリカ勢4割、のレコード・ライフでした。  by 大滝詠一

 

さて、「恋のナックルボール(1st Recording Version)」の基本リズムは、大滝さんが明かしていたように、マンフレッド・マンのバージョンの「マイティー・クイン」から引かれています。

 

Manfred Mann 「 Mighty Quinn (Quinn The Eskimo)」

 

マンフレッド・マンも前述のデイヴ・クラーク・ファイヴも、ブリティッシュビートのバンドです。

 

恋のナックルボール」はブリティッシュ路線で行こう、という大滝さんの明確なコンセプトが感じ取れますね。

 

ちなみに「マイティー・クイン」の作者は、あのボブ・ディランです。

 

アメリカのボブ・ディランのフォーク・ロックの曲を、英国のマンフレッド・マンが演奏している、という点を大滝さんは象徴的に捉えて、そのリズムを「恋のナックルボール(1st Recording Version)」へ引用したのかもしれません。

 

 

興味深いことに、英国のデイヴ・クラーク・ファイヴの「グラッド・オール・オーヴァー」のルーツに当たるであろう曲もまた、アメリカにありました。

 

それが、ロイド・プライスの「パーソナリティ」です。

 

Lloyd Price 「 Personality 」(1959年)

 

「パーソナリティ」の0:32~のサビの入り口で、歌メロではなくベースラインに“注耳”すると、、、

 

♪ 恋の~ / (ナックルボール)

 

と奏でており、それ以降の展開も「グラッド・オール・オーヴァー」や「恋のナックルボール」と同じなのですね。

 

ロイド・プライスは、ニューオリンズ育ちのR&Bシンガーで、ロックの殿堂入りもしました。

日本でも発売されたこの「パーソナリティ」は、後に彼が「ミスター・パーソナリティ」というニックネームで呼ばれるきっかけになった有名曲です。

 

彼の「ジャスト・ビコーズ」(1957年)はジョン・レノンもカバーしていますが、大滝さんの手にかかると「ニコニコ笑って」に生まれ変わりました。
 

ロイド・プライス 「ジャスト・ビコーズ」

(↑クリックorタップしてお聴きください)

 

大滝詠一 「ニコニコ笑って」

(↑クリックorタップしてお聴きください)

 

恋のナックルボール」の源流をたどって、ニンジン畑をかき分けて英国のデイヴ・クラーク・ファイヴに辿り着いたと思ったら…、その向こうにニューオリンズのロイド・プライスが透けて見えた…。

 

これって、大滝さんの「ハートじかけのオレンジ」に込められたストーリー()と同じ構図だといえます。

すなわち、次のようなお話です。

 

'60年代前半にアメリカンポップスが全盛だったところへ、ビートルズやデイヴ・クラーク・ファイヴといったブリティッシュ勢が突如'64年に侵攻してきた。
しかし、そのブリティッシュ勢というのはもともと、'56年から'59年にかけて隆盛を誇った米国発のロックンロールが海を渡って、英国に影響を与えた結果 “生長”したのだった…。

【参照】「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」解説#8「ハートじかけのオレンジ」完結篇

 

上述のような音楽史観をふまえて、大滝さんが発したのが次のお言葉です。
これについては、後編の第3章と第4章で説明します。

 

俺にとってリヴァプール(=リヴァプールサウンド)っていったらバディ・ホリー(米国)とエヴァリー・ブラザーズ(米国)なのよ。リヴァプールのオリジン。

 

ところで…。

 

先述のように“曲先”で作詞依頼を受けた松本隆氏が、「野球場でのデート」というシチュエーションや、「ナックルボール」というアイテムを描いてきたのは、偶然だったのか、それとも必然だったのか…。

 

恋のナックルボール(1st Recording Version)」には“三三七拍子”は入っていないので、もしかしたら、「恋のナックルボール」にあたる曲を“野球の歌”に仕立てるというのは、当初からの既定路線だったわけではないのかもしれません。

 

ただ、大滝さんから松本氏へは、楽曲の情景のキーワードとして、「デート」が伝えられたのかもしれませんね。

 

その理由は、次回、解説#6 「恋のナックルボール」後編にて…。