人は自分の鏡だ、という事はたぶんみなさん感じた事があると思いますが、

私の実験について書きたいと思います。

 

 

 

2年前くらいに、原因は色々あると思うのだけど、周りの人を拒絶する時期がありました。

 

周りの人が話す事、やることなすこと全部にイライラするっていう(笑)

 

特に、男女関係で不誠実な人が嫌いでしょうがなかった。

 

 

 

前回も書きましたが、母から得た道徳心によって、

 

男女関係で不道徳な事をする人が私は昔からここ最近までずーーーーーーーっと大っ嫌いでした。 

(不倫、浮気、一夜だけ関係を持つ、など)

 

友達がそういう事をしたら軽蔑し、友達をやめるという徹底ぶり。

 

 

 

 

 

周りの人の不誠実さに対してイライラしている時、とある人に言われました。

 

「きぬは周りを縛る事によって、自分も辛くさせてるように見える」

 

 

 

 

 

 

 

「ほう?」

 

 

 

実際、周りにイライラする事で一番辛いのはまぎれもなく自分。

 



 

「そうか、周りに対して厳しいってことは自分に厳しいってことか、、、

 

じゃあ自分に寛容になって、何してもいい!っていう前提で生きたら周りにもイライラしなくなるのかな?」

 

 

 

と仮説をたてたのが、

 

「自分への不寛容=周りへの不寛容」

 

でした。

 

 

 

仮説検証のために、それからはとことん自分に甘くしてみました。

 

人に迷惑がかかろうが、やりたい事をやる。(信号無視するとか小さいことから(笑))

 

今まで自分の道徳心がタブーだとしていた事も、やってもOK!という前提で生活してみました。

 

 


 

何をやったかは、言えない事もあるし(笑)ほぼ忘れてしまいましたが、

 

これも実験大成功でした。

 

 自分に寛容になる=周りに寛容になる。でした。




今は、周りが何やってても「自分の勝手な道徳心」からくる怒りは全くなくなりました。 
 

 

 

 

だいたい人ってせまーい世界で生きて来た自分の常識の中だけで生きていて、

何かの現象に対して反発心が起きるのは、「自分の狭い常識」から外れているものを見た時。

「あの人は常識がない」とか言う人に限って、「自分の狭い常識」だけでしか物を考えられない痛い人だと思います。    

 

 

  常識にあてはめて、「こうあるべき!」とイライラするのではなくて、
相手の行為によって自分はどう感じるのか?をちゃんと考えるとイライラの原因はほとんど「寂しさ」から来る事がわかります。

 

この話はまた後日。