以下、福島在住で、2歳の子供と共に毎日放射線と戦っている姉の日記より抜粋しました。
なんか、、、いくつもの危機を乗り越えてきた322年の歴史の中に、復興へのリアルな希望が見えた。
**********************************
福島県の太平洋側、浜通りという地方に
大堀相馬焼という322年続く、伝統工芸品の焼き物があるそうだ。
(私も先日テレビで知ったのですが。)
その18代目?だったかな?を継承する職人さんの話。
その工房は浜通り(確か大熊町)にあるらしく、
被災後二本松市に避難したきり、いつ帰れるかも分からない為
二本松市に工房(釜)を作る計画をしているそう。
放射能問題の為、県外へ避難をさせている子供達家族(あと取りの息子達)に対し
『いつ帰って来れる状態になるかも分かんねーけど、
若い人らは線量が低くなってから帰ってくればええ。
放射線なんて怖くない、年寄りの俺らがそれまで頑張っから。
今は年寄りが頑張る時だ。』
と言っていた。
子供を始め、若い人達の事を1番に考えて避難させ
自らは汚染された土地にとどまり、復興・浄化の為、
子供達が帰って来れる未来の綺麗な福島を創る為に
尽力してる人達が居る。
なんて言えば適切なのかは…よく分からないけれど…
なんか
ただただ すげーカッコ良くて 頼もしくて
涙が出た。
そしてこうも言っていた。
『322年続いてる大堀相馬焼の歴史の中で
大変なときはいくつもあったんだ。
最近で言うと 第二次世界大戦だけど、
その時も、じっと耐えて乗り越えてきたんだ。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで」 だよな、まさに。 笑』
って優しい笑顔で言った。
『耐え難きを耐え 忍び難きを忍んで』 は
言わずと知れた、
第二次世界大戦の終戦を告げるラジオ放送で
昭和天皇が言った言葉の中の一節であるわけですが、
今まではその言葉を リズムのいいセリフというか、
『有名な言葉』としてしか認識していなかったのですが、
震災後の今、この職人さんが言ったことで初めて
スッと言葉の意味が深く心にしみたような気がしました。
それにさ、
『最近で言うと 第二次世界大戦だけど…』
ってさ……。。
322年の歴史からすると確かに 『最近』 のことなのかもね。
なんか
長い歴史と伝統の継承と、
『どんな時代も乗り越えてきた』 っていう誇りのようなものが
優しく気さくな口調の中にも、ひしひしと感じて
もぉぉ~~ 涙ぽろぽろ ぽろぽろ…。
こうやって… どんな辛い時も悲惨な出来事も、どうにかこうにか
必死に乗り越え、世代をつないできたのが、日本に限らず人類の歴史なのなら、
その長い歴史の中の1つの点である 『今ここ』 だけが
越えられないなんてことはあるはずないんだよな。
とか、
超前向きに (なんかずいぶん思想哲学じみちゃったけど)
感じたりして。。
優しく穏やかであり、また強くたくましい人々のお陰様で
今日も明日も前向きでいれそうです。
どうもありがとう。
なんか、、、いくつもの危機を乗り越えてきた322年の歴史の中に、復興へのリアルな希望が見えた。
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福島県の太平洋側、浜通りという地方に
大堀相馬焼という322年続く、伝統工芸品の焼き物があるそうだ。
(私も先日テレビで知ったのですが。)
その18代目?だったかな?を継承する職人さんの話。
その工房は浜通り(確か大熊町)にあるらしく、
被災後二本松市に避難したきり、いつ帰れるかも分からない為
二本松市に工房(釜)を作る計画をしているそう。
放射能問題の為、県外へ避難をさせている子供達家族(あと取りの息子達)に対し
『いつ帰って来れる状態になるかも分かんねーけど、
若い人らは線量が低くなってから帰ってくればええ。
放射線なんて怖くない、年寄りの俺らがそれまで頑張っから。
今は年寄りが頑張る時だ。』
と言っていた。
子供を始め、若い人達の事を1番に考えて避難させ
自らは汚染された土地にとどまり、復興・浄化の為、
子供達が帰って来れる未来の綺麗な福島を創る為に
尽力してる人達が居る。
なんて言えば適切なのかは…よく分からないけれど…
なんか
ただただ すげーカッコ良くて 頼もしくて
涙が出た。
そしてこうも言っていた。
『322年続いてる大堀相馬焼の歴史の中で
大変なときはいくつもあったんだ。
最近で言うと 第二次世界大戦だけど、
その時も、じっと耐えて乗り越えてきたんだ。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで」 だよな、まさに。 笑』
って優しい笑顔で言った。
『耐え難きを耐え 忍び難きを忍んで』 は
言わずと知れた、
第二次世界大戦の終戦を告げるラジオ放送で
昭和天皇が言った言葉の中の一節であるわけですが、
今まではその言葉を リズムのいいセリフというか、
『有名な言葉』としてしか認識していなかったのですが、
震災後の今、この職人さんが言ったことで初めて
スッと言葉の意味が深く心にしみたような気がしました。
それにさ、
『最近で言うと 第二次世界大戦だけど…』
ってさ……。。
322年の歴史からすると確かに 『最近』 のことなのかもね。
なんか
長い歴史と伝統の継承と、
『どんな時代も乗り越えてきた』 っていう誇りのようなものが
優しく気さくな口調の中にも、ひしひしと感じて
もぉぉ~~ 涙ぽろぽろ ぽろぽろ…。
こうやって… どんな辛い時も悲惨な出来事も、どうにかこうにか
必死に乗り越え、世代をつないできたのが、日本に限らず人類の歴史なのなら、
その長い歴史の中の1つの点である 『今ここ』 だけが
越えられないなんてことはあるはずないんだよな。
とか、
超前向きに (なんかずいぶん思想哲学じみちゃったけど)
感じたりして。。
優しく穏やかであり、また強くたくましい人々のお陰様で
今日も明日も前向きでいれそうです。
どうもありがとう。