こんにちは。

今回も前回記事に引き続き、おもに福音書から、主イエス・キリストの御言葉と現代の人々の性質を比較していきます。世の多数派は神(イエス・キリスト)に反逆し、同じく神に反逆する悪魔に似た品性であり、世の人々の反聖書的な悪い性質が世の中を問題だらけの酷い有様にしている大きな要因だと知ってください。

もし、「人間として正しく生きたい」「腐った世の中に同調せず、悪に抵抗したい」等とお考えであるなら、是非最後までお読みください。ご自身の考えや行動を改めるきっかけや手掛かりになること間違いありません。「自分には無関係だ」と他人事に思わず、聖書を手に取って全体の内容を理解し実践していく重要性を認識していただけたら幸甚です。

 

【不当に「裁く」ことは悪い結果をもたらす】

マタイによる福音書 七章一節(拙訳)

裁いてはならない。あんた方が裁かれないために。

 

ルカによる福音書 六章三十七節(拙訳)

裁いてはならない。そうすればあんた方は決して裁かれない。断罪してはならない。そうすればあんた方は決して断罪されない。赦しなさい。そうすればあんた方は赦されるであろう。

 

四つの福音書では、重複する内容であっても書き手によって書き方が少し異なっており、読み比べることで主イエス・キリストの教えへの理解をより深めることが可能です。しかし、ルカ六章三十七節の書き方には読む人に誤解を与えうる表現があります。市販の日本語訳聖書や欽定訳聖書(KJV)では単純な否定形ですが、受け入れられた原典(TR底本)の原文を参照すると、「決して~ない」「絶対に~ない」という強い否定の意味を表す用法が使われています。自分自身が他人を不当に裁かなかったからといって、他に神の律法に反する罪を悔い改めないなら断罪されて地獄行きとなるだろうに…と大いに疑問でした。「一つの点で罪を犯すならすべてにおいて有罪となる」(ヤコブの手紙二章十節参照)、「悔い改めなければ滅びる」(ルカによる福音書十三章三節、五節参照)と警告されているからです。偽使徒パウロと懇意だったルカの書き方に少々気を付けた方が良いことを詳しく知りたい方は、栄光氏によって検証された「偽使徒パウロ一派 ルカの書物の罠〔真理は聖書にある (ameblo.jp)〕」「ルカによる福音書の考察と聖書通読について〔真理は聖書にある (ameblo.jp)〕」の記事を勧めます。

ちなみに、「裁く」とは一体何だろうと思う方も居ると考え、その意味を説明いたします。日本語で「裁く」という意味の原語(κρίνω)について定義や用法を調べたところ、「裁く」「決定する」「強く非難する」「断罪する」等の意味があります。この語はヨハネによる福音書七章二十四節でも使われており、「裁いてはならない」には「上辺で判断してはならない」の意味合いも含まれると考えました。「裁く」だと裁判などで理非を明らかにし適切に処理する印象が強いですが、他人を判断したり非難したりすることは日常生活で珍しくはないですね。見かけや上辺で判断してしまった経験もありませんか。また、マタイによる福音書七章一節に続く文章からも、「裁いてはならない」に含まれる意味合いが分かります。同章の三節からあるのは、自分の事を棚に上げて他者ばかり非難したりする姿勢を戒める(他者を非難する前に自身の品性を改善すべきだ)内容です。他者の「おが屑」(小さな問題)には気付いてあれこれ言うのに、自分の目の中の「梁」(大きな問題)に気付き改善しない人は、その相手や第三者から「あんたが言うな」と思われるに違いありません。また、自分のことを棚に上げて他者を非難する姿勢は、他人のせいにするばかりで自責と反省はしない態度にも繋がるのではないかと考えます。自分のどこが悪かったかをきちんと振り返る人なら自身を棚に上げないだろうけど、自分ではなく他人のせいにしてしまえば気持ち的には楽だと我々人間は考えてしまいがちだからです。一種の現実逃避ですね。世の中がおかしい、国会議員や官僚らが違憲行為や違法行為を繰り返しているのが腹立たしいと思っている人であっても、日本国民の性質にも大いに問題があると認識する人が少ないです。そのことに多少気付いているとしても、学校教育のせいだ、愚民化政策のせいだ、政府がきちんと説明しないのが悪いのだ、等とこれまた自責する態度ではないと感じます。ミカエル氏が日本人の内面や行動について論証した連載(日本人の問題点 一〔真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)〕をはじめとする)を過去記事でもツイッターでも度々紹介してきたものの、日本の酷い状況に少し目は向けつつも根本的に改善に努めようとする人はほとんど見かけられませんでした。この連載では自責して自身の問題点に気付いて改める重要性が説明されていて、上記引用をはじめとした主イエス・キリストの御言葉が我々にとって必要であることを真に理解できるでしょう。わしの経験から、自身を棚に上げているうちは自分の内面が改善されず、ただ不満が募るばかりで苦しくなって、更に一種の自己防衛のために自分の問題と向き合うことからますます逃げるようになってしまったと振り返ります。更に、他責ばかりしていては主体的で自発的な行動もできませんでした。

世の中の真相を知ることは非常に重要ですが、その上で現代を生きる日本人の性質にしっかり向き合ってください。「日本を非難する人間は反日だー」と思う者も居るかもしれませんが、日本の問題を見て見ぬ振りをして現実逃避をする方こそ、悪を見て見ぬ振りをすることになり、悪政を繰り返す政府や官僚や各機関と変わりません。そして、積極的に周知していくのは勿論、世の権威を盲信するどうしようもない多数派を見て嘆くだけでなく、聖書を学んで本当の意味で賢明な人間を共に目指しましょう。「主なる神への畏れは理解力(知恵)の始まり(箴言一章七節参照)」ともある通りです。唯一の真理たる聖書を学んで神(イエス・キリスト)を信仰して律法、掟、戒めに心から遵守するようでなければ、悪魔と悪魔を拝む支配層の人間どもと同じく罪の奴隷として断罪されて地獄行きとなります。これは否定しようもない事実です

 

前回と内容が少し重複しますが、他人を不当に判断したり裁いたりする原因に、物事を見る目が無いことにも原因があると思います。見る目が無い故の弊害を幾つか考えてみました。

画像引用元:https://twitter.com/sorachan_ishii/status/1662749633645518850?s=20

 

人々の健康に関して「金の斧 銀の斧」の童話に当てはめて考えると、病気を治すのに必要なのは強い免疫機能であることを人々は皆少なからず認識してはいながらも、「ワクチンや薬こそ病気を治す」という嘘の宣伝に騙された結果、嘘を信じて(「嘘をつく」と同罪)ワクチンや薬の効果を虚しく期待して選ぶ感じでしょうか。薬の全てが有益なわけではないし、少なくともワクチンは毒であり全て人間にとって不必要です。コロナワクチンの接種が始まってから二年程経過した現在、じわじわとその主作用が出てきています。ワクチンの実態を自ら学習したりせず、幼い頃から刷り込まれてきた「ワクチンや薬こそ効果的」というのを盲信し、一種の偶像礼拝(神の律法に違反する大罪)に陥った報いと言えるでしょう。「金の斧 銀の斧」の童話では、木こりが去った後にやって来て嘘をついた男はただ何も貰えなかっただけで終わったものの、遺伝子組み換えコロナワクチンを接種した人は取り返しのつかないことになりました。ただ、真相を擁護してワクチンを選択しなかった人であっても、正直者の木こりのように褒美を得るわけではありません。悪を避けるのは人として当然であって偉くもないし、聖書を学んで御言葉を実践する者でなければ結局は滅びます。

画像引用元:https://twitter.com/jhmdrei/status/1661291855521382401?s=20

画像引用元:https://twitter.com/nbe222/status/1664404643005497344?s=20

 

これらの投稿の通りのことが本当に起きるか、今のところは定かではありません。しかし、支配層が新世界秩序(NWO)実現に向けて絶えず動いており、コロナ犯罪をきっかけにますます世の混乱を加速させていることは確かです。支配層は綺麗ごとの建前で人々を誤誘導します。見る目が無い人は安易に信用してしまってどんどん支配層の邪悪な施策に加担します。「コロナがそもそも嘘でしかない」と見分けられないなら「もっと強力な疫病が~」と煽られた時に本質を見破れるはずがありません。また、宗教についても見る目が無いならカルトに騙され(世の権威を盲信することも含む)、聖書に対して不当に判断し、まともに内容も知らんくせに的外れすぎる非難をし、獣(=ローマ教皇)主導の秩序(反律法)に安易従って「獣の刻印」を押される→地獄行きが完全に決定という運命になります。聖書を不当に判断して根拠も無く非難する反キリストの間違いについては、終盤で示しております。

マタイ七章一節の御言葉を参照するに、見る目が無い故不当な判断をしたり自分を棚上げして他責したりしてしまうことによって、神の御目にますます悪となって裁き主である神から問われる責任が更に積み重なると考えられます。

 

【異邦人の道への虜になる人々がもたらす悪い世の中】

マタイによる福音書十章五節~六節(拙訳)

イエスはこれら十二人を派遣した。彼らに命じて仰った。「異邦人の道へ逸れてはならないし、サマリア人の町へ入ってはならない。だが、むしろ、イスラエルの失われた羊たちに向かって行きなさい。」

 

この聖句は、主イエスが直接お選びになった十二人に対し、福音伝道をする際にすべきことやしてはならないことを命じた場面の一部です。しかし、この部分を「当時、十二使徒たちはこのように命じられて実践していたんだな、へー」と思って終わりではいけないと思います。何故そう言えるか詳しく説明する前に、上記の聖句で主イエスが「異邦人の道へ逸れてはならない」と十二人に対してはっきり仰った理由を考えてみます。「異邦人」とは、聖書的には血統イスラエル人、ユダヤ人(白人系の偽ユダヤ人は無関係)以外の民を指します。これは異邦人を差別する目的ではなく、レビ記十八章二十四節及び二十章二十三節にあるように、神の律法違反である近親相姦、同性愛、獣姦といった性的倒錯・異常行為、異教の神(=悪魔)に対して子を生贄とすること、魔術や霊媒、その他数多くの忌まわしいことを異邦人(古代イスラエルの民の行き先の諸民族)は平気で行っていたのです。無法者の異邦人や異教徒の慣習に染まらないことで自身を聖別することができます。古代イスラエル人が諸国を攻めたことについて無知な人が非難することがありますが、彼らの戦いは特例に過ぎないし創造主なる神に逆らう人々への報いや見せしめの意味があった背景を無視しています。本当に聖書について無知な人はいつも身勝手な妄想で聖書を貶す有様で、「サタン」(中傷する敵対者)の品性と言えるでしょう。

一世紀当時よりも前に「異邦人の道へ逸れた」例として、古代イスラエルの王だったソロモンが挙げられます。元々ソロモンは神に従い大層秀でた知恵を持つ人物でしたが、晩年に異邦人の女にたぶらかされました。その結果、当時繁栄していたイスラエル王国が分裂し混乱するきっかけとなってしまいました。

それで、何故「異邦人の道へ逸れてはならない」の御言葉を現代の我々も見過ごすべきでないと言えるか申し上げます。この御言葉に逆らった現状が、近現代ではほとんどの民族に当てはまります。ほぼ世界中で人々は英米由来の洋服を喜んで着用し、その言語である英語の教育が熱心に行われ、英語ができないのは恥ずかしいとまで思わされ、米国発祥の音楽や様々な文化や価値観が広く浸透していることが挙げられるからです。西洋の土着宗教由来のクリスマスやハロウィンは勿論、近年ではイースター(これも聖書とは全く無関係)も商業に入り込んで人々に広く浸透させています。原因は多くの人々が西洋かぶれである、すなわち自国の文化や価値観や言語を蔑ろにして西洋(特に英米)の虜になっていることです。どの民族も元から神の律法に適わない人間独自の慣習や文化だらけで、当然ながら西洋(特に英米)由来の文化や慣習や価値観も反聖書的なものばかり。

 

画像引用元:真の聖書福音と預言 【第六回】パウロは偽使徒 Bible, Jesus Christ, The true biblical Gospel and Prophecy (bitchute.com)

 

この画像引用元の動画の本旨は「パウロが偽使徒である」事実の決定的な証拠を説明するものですが、偽使徒パウロが異邦人を取り込もうとローマ等の西洋にかぶれ、神の秩序や主イエス・キリストの教えや行動に反した教義を吹聴したことに関連し、世界での西洋かぶれの実態と支配層の思惑の説明も含まれています。特に、現代でも血統イスラエル人の末裔が四割弱存在する古代イスラエル、ユダヤの系譜である日本人にとって非常に重大な事実です。先に紹介した「日本人の問題点」も、西洋かぶれがその大きな要因の一つになっていることが理解できるでしょう。

古代イスラエル人が日本にやって来て以来、日本で主なる神への信仰を持って聖書通りの生活がきちんとなされたわけではありませんでしたが、日本古来の慣習にはモーセの律法に由来する慣習や価値観があったり、道徳観も律法に適うものが含まれたりしました。幕末から明治にかけて西洋の文化が本格的に入り込んだ時も、決して日本が西洋より劣っていたわけではなく、むしろ優れた点が数多くありました。学校の教科書を盲信していては絶対に認識できません。例えば、こちら(msn)を参照しても、日本は外国なんかに依存しなくとも十分に豊かな社会を作る力はあったと言えます。農民もあまりに理不尽な扱いを受けたら一揆を起こす行動力もありました。しかし、現代では「異邦人の道へ逸れてはならない」に反して西洋かぶれをした結果、日本人には合わない西洋の慣習や価値観に無理に合わせようとして苦しみ、米国等の文化の虜になった人々は日本が米国に何をされても意に介さず、白人に憧れて無駄に見た目を気にして思い煩い(思い煩うことの悪さは前回の記事前回記事でも取り上げました)、娯楽や快楽に溺れてもっと重要なこと(聖書を学んで実践し、政治や法を知ること)に目を向けず、日本の伝統的な文化を破壊し、拝金主義になって「自分さえ良ければ」の思考に陥って愛が冷える、愛が冷えて正義感も行動力も無くどうでもいいことに時間と労力は費やすのに悪人どもを弾劾しない…等と切りが無い程に様々な悪い結果をもたらしています。丁寧に西洋かぶれの実態を指摘して改めるように勧告しているのは、上記で引用した記事や動画の投稿主であるミカエル氏、及びそこから学んだ少数の方々くらいです。世の真相に気付いた人であってもこの点を酷く蔑ろにしていますが、悪魔崇拝者の支配層による新世界秩序(バベルの塔の時代の再来)に今後も抵抗するつもりなら、早く認識と行動を改めてください。

 

【平気で誰かに惑わされる人々】

福音書のうち、マタイ二十四章四節とマルコ十三章五節には、「人に惑わされないように気を付けなさい」という主イエス・キリストによる警告が書かれています。文脈的には特に自称メシア、自称キリスト等の偽り者への警告であるものの、現在は聖書的に艱難時代に突入してますます世の終わりが近づいている頃です。偽メシアや偽預言者らに限らず、あらゆる種類の人間に対して注意するのに「人に惑わされないように気を付けなさい」という聖句が活きると考えています。終末では、多くの人が罪を犯す(とりわけ神の律法に反する)こと、裏切りや憎悪、惑わし、不法の増大による愛の冷え込みが予告されており、実際そのようになっています。コロナ犯罪の実態を知った人であれば、コロナ犯罪での支配層とその手下の各国政府やWHO等の各機関、地方行政、報道機関、御用医師、製薬会社、及びそれらを盲信しコロナ犯罪を推進する大衆の行いから、上記の予告通りの様相が顕現したと感じられるはずです。聖書を思いっきり無視して、平気でこれらの世の権威に騙され誤誘導されるから、いつまでも違憲行為や違法行為を繰り返す議員や官僚ら、犯罪に加担する大企業や各機関らが弾劾されず、やりたい放題になっているのです。貴方もどうか気付いてください。

誰かに惑わされないように注意していれば、感情的になって主観で他者を判断することなく、客観的に見れるようになっていきます。これは今回記事の一つ目の話題「不当に「裁く」ことは悪い結果をもたらす」と共通して言えることです。

 

【反キリストに惑わされるな、従うな】

このように、今回の記事でも主イエス・キリストの御言葉を幾つか取り上げ、聖書の真実性と人間にとって聖書の学びと実践が必要不可欠であることをお伝えしてきました。真実を愛してすんなりと受け入れる人が多数であれば望ましいですが、残念ながらそうではありません。世の真相論さえ、自分に関係あると考えて本気で耳を傾ける人が少ない有様です…。もし、貴方が少しでも聖書に関心を持っておられるのであれば、例えば次のような聖書を根拠も無く貶す反キリストに関する警告を併せて読んでください。また、世に出回る嘘に惑わされて似たような考えを持っているなら、今すぐにでも認識を改めるべきです。

ここで取り上げているのは、わしのツイート投稿に対する返信で絡んできた人の投稿です。この人はツイッターのフォロワー数が百にも満たず全く影響力が無いですが、今後このような無知で狂った思い込みと偏見の激しい反キリストどもが増えることを見込み、注意しておきたいと思いました。決して本人を晒す意味ではなく、聖書に関する人々のおかしい思い込みや誤解を解いて、少しでも惑わされる人を減らしたいが為です。

具体的に上の画像に貼り付けたツイート投稿にある内容で、とりわけどこがおかしいかを示します。まず、「キリスト教が正義、聖書が正義。信じない者は悪という思想は戦争にしかなりません。」とありますが、いきなり何の根拠も無い勝手な妄想を並べていますね。聖書のどの箇所に「聖書を信じない者と争いをせよ」なんて教えがあろうか。あるはずないです。聖書には争いを肯定的に捉える教えは存在せず、むしろ否定的です。例えば、以下をご覧ください。

 

新約聖書 ヤコブの手紙 四章一節〜三節

あんた方の間にある争いや衝突はどこからなんや。あんた方の内にある争う欲望からちゃうか。あんた方は人を殺して欲するが得られず、また、妬んで手に入れることが出来へん。あんた方は争ったり戦ったりするが、得られへん。なぜなら、あんた方が願わへんからや。願ごても得られへんのは、自分の欲望に使うために不適切に願っとるからや。

(引用元:世の悪に抵抗しなさい | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

 

上記の書簡の一節に、争いや衝突の原因が人間の内面にある欲望によるものだと断言されています。確かにその通りですね。「キリスト教」のお面を被った異教カトリックの十字軍も、カトリック及びその派生である同じく異教カルトのプロテスタントや正教会及びその他宗教を信じた白人の大侵略も、原因は彼らの醜い欲望です。人間の本性、権力闘争や戦争による金儲け等が根底にあるのであり、聖書の教えとは全くの無関係です。むしろ、彼らが神(主イエス・キリスト)の高潔な品性とは真逆だった故の歴史と言えるでしょう。人々に聖書の教えから遠ざける為、外部の人々に聖書やキリストを悪いものかのように看做させる為の悪魔による策略だとも考えております。そして現代でも、世の支配構造やローマ教皇(黙示録やダニエル書の「獣」)の邪悪さに気付いた人であっても、悪魔の目論見は見事に成功し、かつての白人らの蛮行の背景を理解せず、聖書をまともに読まず、同じく無知な人々による聖書への偏見や偽りを勝手に盲信する人が少なくありません。

上記のヤコブの手紙の言葉だけでなく、争い(喧嘩や無益な口論を含む)を起こすのは激しやすい人や神の律法違反行為を愛する愚かな人である(箴言十五章十八節、十七章十九節、十八章六節ほか参照)ことがわかります。反対に、キリストに似た品性を持つ人であれば、復讐せず敵を愛する(マタイによる福音書五章参照)という非常に高潔な教えを実践できるわけですので、争いとは無縁です。争いどころか、実際、聖書を固く守る人こそ偽キリスト者であるパウロ狂信者や異教徒及び不信仰者から迫害された歴史があります。それに現在は日本国憲法で信教の自由が保障されているのもあり、それが無くとも幾ら聖書を頑なに拒絶し汚れた行いを繰り返す人に対してであろうと「罪を犯す者には、なお罪を犯させよ。汚れている者は、なお汚れさせよ。(ヨハネの黙示録二十二章十一節参照)」の内容を覚えて無駄な争いなんかしようとも思いません。神(主イエス・キリスト)の予告通り、後で各人が自分の言動の責任を追及されて裁かれるだけです。

そして、日本の戦国時代の頃にやってきた「宣教師」はカトリックやイエズス会の者達であって当時もたらされたのは偽キリスト教であるパウロ教ですし、フランシスコ・ザビエルをはじめ彼らは日本へ偵察に来た工作員でした。更には(参考までに)こちら(WANI BOOKS NewsCrunch(ニュースクランチ))にあるとおり、宣教師擬きどもは奴隷貿易にも関与し、戦国武将たちから追放されたとしても当然です。

日本の神話に性的倒錯する者がたくさん存在するから何なんだ、という印象です。性的倒錯を擁護する人は、最近話題になっている自称女が女性風呂に侵入したり、女性の競技者と並んで競技を行ったりするといった、性犯罪を助長させる行為や社会秩序の混乱を望むのでしょうか。とんでもないことです。

また、二枚目でも最初の戦争にしかならない等と繰り返し言ってるけど、具体的にどういう根拠があるからこうであると論理的に主張していないですね。経験上、聖書を正当な理由も無く拒絶する人はほぼ例外なく変な主観で物事を述べるのが大きな特徴の一つです。それで、この発言に関しては一つ目に申し上げた内容と重複しますが、主イエス・キリストを信じない者が悪魔に取り込まれるというのは聖書からわかる事実です。確かに世界中には色々な価値観や考え方があるものの、創造主なる神(主イエス)の律法や掟を守って生涯神に従い通す神の民(真のキリスト者)と世から出た者(それ以外)に大きく分けられるのです。人間の個性や自由意志があって色々な性格や考え方が存在したりするに過ぎません。真理は一つしかないのだからそれ以外は必然的に正しくない要素が含まれていると考えるのは当然であり、一貫して真理が詰まっているのが聖書(パウロの書簡は聖書ではありません)だということです。真理が複数あると思っているのでしょうか…。

少し前に、「聖書はツギハギのパクリだらけ」という愚かな言論を見かけたことがありましたが、世の数々の宗教(一神教を含む)は聖書が書かれた時代よりもずっと後に作られたものであって、これらこそ聖書から一部だけ都合良く切り取って他の土着宗教と組み合わせてでっち上げられたつぎはぎ創作宗教と言えます。どこに聖書が他の宗教から教義をパクりまくった根拠があるのか…ありません。似たようなことを考えている人は、今すぐそんなくだらん虚偽から脱却すべきです。

悪魔崇拝者の支配層にとって聖書の内容は最も不都合であり、それ故聖書を悪用した新たなおかしな宗教の創設、聖書の底本や翻訳の改ざん、解釈の曲解等の数多くの迷惑行為がなされています。そして、悪魔とその手先の人間と同様に反聖書的信条で悪魔に似た品性を持つ者らもまた、先程まで示したように根拠の無い嘘と悪評を平気で広めています。黙示録二十一章八節で、嘘をつくことが「火と硫黄の燃える池(地獄)」行きの罪の代表例の一つに挙げられてるだけありますね。聖書をまともに読んで検証もせず勝手な思い込みを持ち、同じく聖書を読まずに聖書に関して無知な人間の愚かな戯言を盲信する、すなわち「人に惑わされないように気を付けなさい」の言葉に反するから、間違いをいつまでも認められないようです。そのくせ聖書の内容や聖書を熱心に学んで神の律法、掟、戒めを守るキリスト者を非難する反キリストに騙されてはならないし、自身もそうならないよう注意しましょう。

 

今回の記事を通して、主イエス・キリストの御言葉が人間にとって最も必要であることをお伝えし、聖書を手に取って真剣に学ぶきっかけとしていただければ幸いです。世界では新世界秩序の導入は絶えず進んでおり、日本では与野党一緒になって憲法改悪を目指しており、自由に真相を知れる機会が徐々に奪われ、聖書を学べる時間も少なくなっています。少しでも聖書に関心を持った方は、すぐにでも必死に聖書を学び、且つ掟の内容を熱心に生活に取り入れてください。一人でも多くの人が正しい聖書福音を見聞きできるよう、必死に福音を広めてください。