むかし馴染みの知人に、タイトルのようなひとがいる。
知人が連絡をよこすときは決まって「◯◯なんだけど、どうしたらいい?」と半ばパニックになりながら電話をかけてくる。
先日は家に虫が出た、どうしたらいい?というものだった。
わたしなら、ムシだろうが、トリだろうが、コウモリだろうが、家に自分しかいないのだから自分でなんとかするほかない、という選択肢しかないのだが、知人は「自分ではどうにもできない」と訴えてくる。
しかし、家が隣というわけでもない。
電車を乗り継がねばいけないような距離感である。
そして終電はとっくに過ぎている。(電車があっても行く気はないが…)
このまま寝ることもできない。
自力で退治することもできない。
どうしたらいいのか。
と嘆く知人。
殺虫剤を使う。
ハエ叩き的なもので叩く。
などなどさまざまな提案をしてみるが、自分はめぇ子のように逞しくあれないからどれも無理難題だと言った。
ならば一人暮らしの知人の残された選択肢はひとつしかない。
外注する。
知人は、「安全な業者はどれ!?」と叫んだ。
そんなものはわたしにはわからない。
わたしなら自力でなんとかできてしまうことなので、虫退治を業者に頼んだことなどない。
知人は以前、違う種類の虫が出た時にも同じように電話をかけてきて、外注したことがある。
そのとき、5万円ほど取られたため、金額に尻込みしているのだと言った。
しかし、自力でできない。
誰かに頼みたい、となるとお金という対価を支払ってなんとかするしかないだろう。
…と、毎回こんな調子の知人なのだが、実はこの話には後日談ならぬ前日談がある。(こんな言葉があるのかは知らない)
知人の家はなかなかに年季が入っているらしい。
あちこちガタがきているらしい。
メンテナンスらしいメンテナンスをしたことがないらしい。
壊れたらその都度慌てて対処している、というのを繰り返しているらしい。
「らしい」ばかりなのは、わたしは知人の家に招かれたことはおろか、毎度のトラブルにおいて、こんな状況なのだという状況証拠の写真すら送られてきたことがないため、すべて知人からの口頭説明のみである。
知人がわたしに家の情報を教えない理由は、「家が古く、見せたくないから」ということらしい。
で、そんな家に一昨年、またしてもトラブルが起こった、と連絡が来ていた。
玄関ドアのある部分が壊れ、大きな隙間が空いてしまった、どうしよう。というものだった。
玄関ドアに関しては早急に対処すべきだろうと思い、また相談に乗ったが、知人のこだわりを網羅するとなると50万円かかるのだと言われたそうだ。
ど素人のわたしからしても、知人のこだわりを聞くとなるとそのくらいかかりそうだな、と感じたので妥当ではないかと答えたと思う。
もちろん、10分の1くらいの金額で済みそうな提案もしてみた。
しかし知人は「そう考えられるのはめぇ子には旦那がいるから云々」と始まったので、住んでいるのあなただし、お金を支払うのはあなただからあなたが納得するようにしたらいい、と言って締めたと思う。
で、まぁ、今回の騒動は一昨年の相談で上がっていた玄関ドアの破損箇所を直さずにいたために起きた騒動だった。
知人はその時々によって、「お金がない」と言ったり、「お金がある」と言ったりする。
前回はお金があるから50万くらいポンと払える、と言ったが、今回は5万円なんで支払うお金がないと言った。
その辺りもまたわたしにはなんの判断もできない部分であるので毎回スルーしている。
「あの時、言うことを聞いておけばよかった」などと言ってくれればまだマシなのだが、こんな不幸が降り注ぐ自分はなんて不幸なのだ、ということを延々と語り出す。
家は買っておしまいではなく、定期的なメンテナンスが必要だ。
多くの方たちはただ住んでいるのではなく、日々少しずつ対処したりして維持しているのであって、知人だけが特別不幸だとは思えなかった。
住む場所や財産を遺してもらっている知人は恵まれているとすら思う。
無理、できない、助けて、なんとかして。
電話越しにパニックになる知人を宥めつつ、自分にできないのなら業者に頼むこと。
いくつか電話して金額やないように納得できるところに頼むことなどを言い聞かせ、半ば無理矢理電話を切ることにした。
知人は決まって「めぇ子はいいよね、旦那さんになんとかしてもらえるんだもんね」と言うが、そうしたゲテモノ関連はわたしに丸投げするのが我が家の夫であるのだが。
そんなことは関係なく、ひとりでいなければいけないというこの状況がわたしより絶対的に不幸なのだと言った。
1時間ほど、知人の電話に付き合い、時計は1時をまわっていた。
いままでさまざまな話を聞かされてきたが、何ひとつわたしのアドバイスを聞いたことがない。
きっと今回もそうだろうと思ったが、予想どおり自力でなんとかして業者には頼まなかった、と言った。
眠いなか話に付き合ったわたしという存在はなんだったのだろうか、と思わずにいられない。
「どうしたらいい?」と聞くがいくつか案をだすとそれではないものチョイスする知人を天邪鬼だなぁ、としか思えなくなってきている。
こうした知人はつかず離れず、適度にゆるゆると受け流すくらいがちょうどいいのかもしれない。