あんなに手がかかった長男がもう4年生。
書きたくても書けないことは山ほどあった。
彼が将来、もしかしてこれって自分のこと??って気づいちゃうかもしれないようなことは自主規制。
苦労してると思うことを相談すると、「あなたの子が特別なんじゃないですよ?」と言われた日のことがどうしても忘れられない。
特別扱いして欲しいわけじゃない。
でも、、長男という子はやっぱりとっても大変だったと思うことばかりだ。
気持ちの切り替えができなくて1日に何度も抱っこしながら「大丈夫」「落ち着いて」「そばにいるよ」と何度も何度も声をかけて、頭や背中を撫でて、落ち着くまで何十分でも、1時間でもひたすら彼の気持ちが落ち着くまでとことん寄り添う。
泣きたくなる日だってたくさんあった。
なんで周りの子とこんなに違うのか、と悩む日だってたくさんあった。
時には彼と一緒に泣いた日もあった。
わたしの育て方が悪いのか?と考えない日はなかった。今もだけど。
落ち着きを取り戻すと、長男はいつも「ありがとう、ごめんね」と言った。
困っているのはわたしじゃない。彼自身だった。
長男に怒ってしまう夫に、「長男という子」を理解してもらおうと思った。
次男が生まれてからというもの、手のかかる長男と、手のかからない次男で明らかな差を感じるようになったからだ。
次男や、周りの子たちの多くは、その場にあった乗り物に乗り換え、適切な速度で運転している。
ところが長男という子は、扱いにくいスポーツカーをフルアクセルで走り抜けようとしている。
ただでさえ扱いにくい車種を、不器用な子供が運転していると思えば、派手に衝突したら、うまく行かないことがたくさん起きることが予想できる。
周りから見てると、あぁ、そこはみんなと同じように三輪車に乗り換えればいいのに、とかいまは自転車がいいんじゃない?なんて思うけれど、きっと彼はこのスポーツカーしか見つけられていない。
それをいくらほかにももっと乗りやすいものがあるよ!って言ったところで、彼はその乗り物を持っていないのだからいま持っているもので必死に周りに合わせようと四苦八苦している。
彼がその乗り物に慣れるまで。
彼が、その乗り物以外を手に入れられるようになるまで。
わたしは、彼がその乗り物を乗りこなせるようになるまで、フォローをしてあげたいと思っている。
次男よりもあちこちぶつかったり、コースを間違えたりして車体はボロボロになるだろうけど、それを整備してまたチャレンジできるようにするのがわたしの責務だと思う。
時間はかかるかもしれないけど、彼はきっと、この乗り物を乗りこなせるようになると思う。
もし、いまの長男を見ていてイライラするのなら、「見ない」という選択肢があってもいい。
わたしは、クラッシュしていたら助け出してあげたいし、壊れた部品があるなら直してあげたい。
でも、クラッシュしている場面を見ていないと、次にどうしたらいいのかという客観的な視点での声かけをすることができないから、彼にとことん付き合っていくつもりだ。
でも、それが無理な人もいるから、どうするかは自分で決めるべきだと思う。
ただ、クラッシュして傷ついている人に向かってさらに追い打ちをかけるようなことはしてほしくない。
長男の行動に「なんで?どうして?理解できない」のオンパレードだった夫に、そんな話をした。
それから10年近く経ち、最近の夫は「長男をかわいいと思う日が増えた気がする」と言うようになった。
長男は相変わらずな部分もあるが、昨年度からぐんと成長を感じる面がたくさん出てきた。
でも、ずっと1番近くで過ごしてきて思うのは、長男は変わっていないということ。
本人が車を乗りこなせることができるようになってきただけに過ぎず、長男という子の本質はいまも昔もずっと変わっていない。
かすり傷くらいで済んだり、クラッシュしても自力で立て直すことができることが増えてきた。
うまくコーナーを曲がれる日もあるし、そうでない日もある。
でも、少しずつ、確実に成長している。
時々こちらをみて、ニコッと笑いながら手を振る余裕がある日だってある。
暗くて長いトンネルから抜け出せる日が来るのかなと悩んだ日もあったけれど、なんとなく、大丈夫な気がする。
そんなふうに思う今日このごろ。
次男の幼稚園のお友達ママさんと話した時、長男は、率先して2歳くらいの子たちとうまく遊んでいた。それを見てママさんは、とっても優しくてしっかりしてて育てやすい子だったんだろうなと、言った。
わたしは、むかしの長男はラクではなかったことを軽く話した。日に何度も落ち着かせる時間が入り、宥めない日はなかったと言うと、「よくそれにつきあい続けられたね…!」と大層驚かれた。
本人が大変そうだったと告げると、子育てしるなかで余裕がないことばかりで、そんなふうに考えたことはなかった。と言われた。
確かにわたしも次男だけだったら、こんなふうに考えられるようにはならなかったかもしれない。
うちの子が長男みたいじゃなくてよかった、と言われたこともある。
わたしは、長男がうちの子でよかったと思う。
大丈夫。
なんとかなる。
そう信じて腐らずにいてよかった。