我が家の子供たちは豪快に見えて繊細な子たちだと思う。

ひとのこころの動きな内面を感じとるので、雰囲気がよくないと具合が悪くなることも少なくない。

ニコニコしている人にでも警戒し、わたしの影に隠れたり、言葉少なく一見無愛想に見える人には懐いたり、不思議だと思っていた。

きちんと話せるようになってから、ニコニコしていてもあのひとは怖い、怖そうに見えるけど、あのひとは優しい、と説明してくれた。

子供の言葉だけを信じるわけではないが、よくよく冷静に見てみると、ニコニコしているひとでも咄嗟の声かけが嫌味のようだったり、ため息をついたりしていた。

無愛想で言葉少なくても、子供のためを思っての厳しさだったり、子供のすることには叱らず、寛容に待っていてくれたりした。


周りが、あのひと、優しいよね!というひとでも我が子たちは警戒して懐かない、なんてことも少なくなかった。

逆に、あのひと、怖いよね、というひとに懐いていたり。

長男はいまもそんな感じで、怖いと評判の先生に「先生!だいすき!」と声をかけている。


あの先生は、怒ると怖いけど、間違ったことを言っているわけじゃない。

子供たちのことを思ってのことだから、怖くないし、本当にぼくたちのことを考えてくれているいい先生なんだよ。


と、長男はわたしに説明してくれた。


お友達と過ごすよりも、ひとりで過ごすことが多く心配だと思うこともあった。

ようやくやる気になった習い事も、誰も友達のいないところで、ここなら上手くなりそう!と本人が感じたところに行くことにした。


仲のいい友達がいたらいいな、とは思うけど、友達がいるから習いに行きたいとは思わない。

ひとりで新しい場所に行くことが怖くないわけじゃないし、心細く感じないわけじゃないけど、自分の感覚を信じたい。


そんな風に言える強さが長男にあった。


マイペースはいいペース。


いつだったか、そんな言葉を使っていた漫画があったような気がする。

わたしは、マイペースにコツコツと取り組む長男にそう声をかけてきている。

家で何かを取り組む分には、納得のいくまでマイペースに作り上げていい。

学校は、決められた時間があるのでその中でやりきる必要があるが、工作などはできるところまで頑張ればいいし、勉強なら家で補完すればいい。

長男のような子は、周りに合わせてざぁーっと手早く済ませるよりも、本人の納得のいくように取り組ませた方がチカラになる子だと感じ、いままで彼のペースを見守っている。



長男がわたしのハンカチを無くしたことがある。

新品の、わたしがまだ使っていないのに勝手に持ち出し、学校で無くしてきた。

確かに多少のショックは受けた。

子どもの頃から自分の持ち物を買ってもらえなかったわたしにとって、気に入ったハンカチを買った…!という達成感もあった代物だったからだ。

いつも新しいものを手に入れると、すぐに壊され、泣いていた記憶しかない。

わたしがショックを受けたのはそうしたトラウマが再燃するからであって、たかがハンカチひとつで人生が左右されるわけではない。


無くしたことは、特に責めなかった。

一応落とし物箱を探してみてね、とは言ったが見つかるわけがない、と思った。

翌日、長男は学校じゅう探し回ったらしい。

しかし、見つからなかった。

見つかるなんて思ってなかったから、そっか、仕方ないね。でこの話は終わりにしようと言った。

長男は、

「もういいよ、ってお母さんは普通にしてくれてるけど、よくないよ…!

顔はいつも通りニコニコしてるけど、絶対ショックだったし、無理してると思う…」

と泣きそうになりながら言った。

そのハンカチを買った時、わたしがとても嬉しそうにしていたから、と言った。

わたしは、なくなったものは仕方ないと思っていたのに、長男は一日中わたしの気持ちを気にしてくれていた。

「お母さんはいつもぼくがやらかしても仕方ないよ、って言ってくれるけど、ダメなときだってあるよ…!」と長男は言った。

すぐに諦めるわたしの悪いクセを見抜かれているような気がした。


そんなふうに相手のことを考えてくれる気持ちだけで充分だと思う。

これを機に、ひとのものを扱うということはどういうことなのか、自分のものを扱うとき以上に気をつけて扱うことを学んでくれたらそれでいいのだと声をかけた。



ハンカチくらい、買い直せばいいと思うが、限定品だったのでもう販売されていなかった。

フリマサイトや中古販売サイトまで見てみたが、ひとつも検索に引っ掛からなかった。

それもそのはずだ。

何年も前の限定品だったようで、ワゴンセールのような場所でたまたま残っていた一枚を気に入って買ったのだから。

そして、そうしたハンカチは使いたくて買うものだから、ハイシーズンを逃したら手に入れることは難しい。


長男はその事実に衝撃をうけたらしかったが、わたしはもうとっくに諦めている。

どうしても使われたくなければ自分で管理すればよかっただけなのだ。

子供たちにも使ってもよいコーナーに置いていたのだから覚悟の上だったしね。



日常のあれこれは、すべて学びなのだと思う。