木曜から次男が発熱した。

新一年生になり、がらりと変わった環境に順応しようと頑張っていたことは明白だ。

気を張っていたし、頑張ろうという気持ちがあったし、事実とても頑張り続けていた。


それもこれも、この週末、お友達と遊ぶ予定を組んでいたから。


毎日、「あと何日で○○くんと、遊べるねウシシ」と指折り数えながら眠りについていた。

学校を休むくらい具合が悪いなら、お友達と遊ぶ日を延期しようね、と言われないためもあったのだとおもう。

木曜日、登校してから「発熱したためお迎えに来て欲しい」との要請があった。


次男の顔を見て、1番に出た言葉は「ちゃんと具合が悪いと伝えられて、保健室まで行くことができて偉かったね」ということだった。

次男はとても悲しそうな顔をしつつも、保健の先生に見られないようにわたしの胸に顔をうずめた。

「がんばりたかったんだけど…体がだるくて頭が痛くて…」わたしの服をぎゅうっと掴みながら小さな声で言った。


わかってるよ。

頑張りたかったから、限界まで頑張ってしまったんだよね。

おうちに帰ってゆっくり休もうね。


そう言うと、次男は鼻を啜りながらこくんとうなづいた。



家に帰ると発熱こそしているが頭痛は少し解消されたようだった。

疲れ、ストレス、緊張感…。

環境が変わったのだから体もこころも疲れていたはず。

ちゃんとしなきゃ。と思うタイプの子だからこそ余計に疲れも溜まったのだろう。


「○○くんち、行けなくなっちゃったね…」と次男はショックを隠せない。

耳も痛いというので耳鼻科へ行くことにした。

中耳炎ではないが、コロナやインフルエンザの可能性も捨てきれない。

希望するなら翌日に検査をするといわれた。

ゴールデンウイークに入るし、自宅で安静にしていたら1週間は過ぎることから、そこまで重要視していなかったが、次男は検査する、と言った。

「○○くんにうつしくないから、検査したい。

ただの風邪なら元気になったら遊べるから」と理由を言った。

大人でも嫌になる検査を受けると決めた次男の気持ちの強さを褒めてあげた。


翌日、検査のために病院へ行くとものすごく混んでいたが、具合の悪さと病院からの翌日受診指示だったこともあり、早くに受診できるように配慮していただきとてもありがたかった。

次男も、ありがたいね、なんて大人びたことを言っていた。

検査もおとなしく、泣き言ひとつ言わず大人のようだった。

先生や看護師さんはその様子をみてとても驚き、たくさん褒めてもらった。

「先生たちだって嫌なことしたくてしてるわけじゃない。必要だから検査してるだけだから」とまた大人のようなことを言った。


検査は陰性。


「これで元気になったらお友達にうつさず遊べるから頑張って治すね」と疲れた顔をして次男が言った。

頑張らせているつもりはないが、次男自身がどこか無理しているんじゃないかと心配になる。

わたし自身が次男のようなタイプだったが、何を言っても無駄だと諦めの局地だったから全てがどうでもいいと感じての冷静な子供だったからだ。




自宅に帰り、家で過ごすことになった休みの間なにをしようか考えた。

数年前に作ったあるゲームの武器を追加してやろう、と決めた。

最初に作ったのは剣と盾。

段ボールと割り箸を使い作った武器は今も当たり前に遊んでいる。

家に遊びに来る子供たちにも大人気だ。

大きさもリアルサイズ。

段ボールを3枚貼り合わせて内部に割り箸を仕込み、壊れにくいように加工をしてある。

そういえば斧とシャベルも作って欲しいと言われていた。

プリンターで印刷して、また新たな武器を作った。

それをみて、長男は「僕のも欲しい」というので、新しく色違いの剣とツルハシと斧を作った。

段ボールを何枚も切り、へとへとだった。

でも、子供たちは完成を楽しみにしている。

ボンドの乾き時間も入れて3日かかった。

「お母さん、最初の剣を作った時よりめちゃくちゃ早くなったね!」と子供たちが嬉しそうに言った。

段ボールを使った工作は今までも何度もしてきた。

商業製品のように非の打ち所のない作品、というわけではない。なんせ段ボールに印刷した紙を貼り付けた代物だ。

しかし、子供たちが遊んだオモチャのトップ3には入るハマりっぷりだ。


作るのはめんどくさいし、大変だ。

子供たちも、すぐに手に入るわけじゃないので制作過程を見つつ待つしかない。

が、完成した作品を手にニコニコと笑い、「ありがとう!」という言葉が自然に出てくるこの姿を見ると、作ってあげて良かったなぁという気持ちになる。

「よくやるねぇ…」と呆れられることも多いけれど、たかが段ボールと印刷した紙、そして割り箸で作った工作を何年も壊さずに使い続けていられるのは、わたしが苦労して作るさまを見ているからなのかもしれない。


この子たちが大人になったとき、同じように子供の「やりたい!」に付き合ってあげられる大人でいて欲しいと思うし、わたし自身も子供や孫にとって良いと思うことを協力してあげられる年寄りになりたい。

そのためには、多少の苦労を自分自身がすべきかな、と思い、自分のために面倒ごとを引き受ける。

一定の年齢になったから大人になるわけじゃないし、物知りばーさんになれるわけでもない。

試行錯誤して、たくさんの経験からわかることがたくさんあると思う。

「何もしてこなかったから、何もできないの」と、できないことを全面に押し出して何もしないのに、年寄りだから労わるべき、なんてふんぞり返っているだけの年寄りになりたくない。


子供たちが大人になった時、わたしというばーさんがほんの少し、彼らの人生に関わらせてもらえたらいいな、とは思う。

子供が楽しいと思うことに付き合えるようなばーさんになるのがわたしの目標。