学校がスタートして数日が経った。

わたしはまだ次男の登下校の付き添いを継続している。

長男のときも、不安感の強めな子供だったこともあり、本人が望む通りに付き添いをした。

付き添うだけで安心感を持って登校できるなら安いものだと思った。

次男はというと、飄々とドライな子供に見えて、本当はとってもよく考えている。

下の子ならではなのか、上の子の対応であくせく動いている親の姿を見ているからなのか、自ら学習することも多く、とにかく手がかからないようにしてくれていると思うことばかりだ。


長男は夫の気質に近く、次男はわたしの気質に近いものがあると感じる。


カッとなると口調が荒く、悪態をつきがちなのが夫と長男。

それらを諭しながら、そうは言ってもこれはこうだよねえ?ぶーなんて感じでお互いの及第点を提案するするのがわたしと次男。

わたしと次男だけで過ごすと事件やトラブルは起きないが、夫と長男だけにすると長男は泣き、夫は拗ねている、というような感じだ。

そのため、夫と次男、わたしと長男で動くほうが何かとスムーズにいく。


その場の空気や流れを読む。


それがなんとなくできるのが次男なのだと感じる。

でも、できているからノンストレスというわけでもないことも知っている。

ほんとうは、たくさん我慢したら諦めたりしていることが多い。


自分がそうだったから。


ちいさなちいさな不満やストレスは少しずつ蓄積されていく。


恐らく、朝の登校の付き添いも、「長男と2人で登校してほしい」と言えば「はーい。」と素直に言うことを聞くだろうことは想像に容易い。

でも、次男はきっと覚えている。

わたしが、長男の時はさまざまなことに付き添いをしていたことを。

別に、お母さんが付き添ってくれなかったって登校できる。

でも、長男くんには寄り添っていたのに、自分にはしてくれないんだね、ふーん。

みたいな、ほんのり面白くないなぁ、みたいなマイナスの感情を少しずつ積んでいく。


でも、その不満は表立って表さない。

試し行動のひとつだと思う。

長男の試し行動はわかりやすい。

だから、対応してもらいやすい。

次男の試し行動はわかりにくい。


物分かりのいい子供でいることで、そこに甘えてはいけない。

やろうと思えば自分のことは自分でできるし、周りのフォローもできる。

そこに頼り切りになっていては、多分、大人になってからの心の距離がぐんと離れる。


いまのわたしのように。


頼らなくてもできるということは、大人になった時に親に関わらなくとも生きていけるということ。

そういうタイプは、本音を聞き出したり、本心を慮らなければ心の距離が遥か彼方へと離れていき、高い壁でガードしてくる。



次男に、「お母さん、一緒に登校しようか?」と聞くと、「うんにやり」と答える。

「まぁ、1人でも行けるけどねウシシ」なんて言いながらも、手はしっかりと繋いでくる。

長男も、「ぼくたちだけで行けるけどねチュー」と言いながら、わたしの手を握った。


小1と小4の子供が、周りの目も気にせずニコニコの笑顔で母親の手を握って歩く。

幼いな、と思われるかもしれないけど、長男も次男も本人たちのペースで少しずつ、少しずつ親から離れていっている。

長男は登下校について来てくれたら嬉しいなんて、きっとあと数年も経てば言ってくれなくなるんじゃないかと思う。

次男はもう少し早くに手が離れてしまうかもな。



面倒だと思う人の方が多いと思う。

周りにはひとりで通う子、きょうだいで揃って通う子、さまざまだ。

そりゃあ本音を言えば子供だけで行って、帰ってきてくれたらラクだと思う。


面倒だと思わないわけではない。

でも、子供の「付き添って欲しい」という気持ちに寄り添ってあげたい気持ちの方が強い。



子供が「もう大丈夫だよ」と言うその日がいつかわからないけど、いつか必ずくる。

その時に、「もっとやってあげればよかったな」と後悔したくない。

したのきょうだいたちのお世話も、当時はわたしも子供だったからちゃんとできないところも多かった。

いまならもっとうまく付き合ってあげられたのにな、なんて思うことがたくさんある。

その気持ちを忘れずに、子供の「めんどくさい」ことにとことん付き合っていきたいと思う。