すわたしは普通科ではない高校に通っていた。


そのことで、仕事に役に立つこともあったり、生きていくうえで良かったと感じることもあるが、子供と言われる年齢の時のわたしは自分で何かを決断することは許されなかった。

親の言うことを聞くことがすべて。

家族のために、歯車のひとつになることを求められていた。

外食や宅配ピザですらわたしだけ好きなものを選ぶことは許されなかった。


自分で自分のことを選んで決める。

当たり前のことなのに、いまも自分のこととなると苦しい気持ちでいっぱいになる。



夫は数々の出来事があったわたしの生育歴のことを、重い話だという。

普通に暮らしていたひとには考えられないし、重い話を聞きたい人はあまりいないから、ほとんどの人には歓迎されないだろうと言った。

役場でも、あまりに特殊環境すぎると同情される。


みんな、楽しい話を聞きたいだろうし。

自分の利益になる話を聞きたいだろう。

暗い話や重い話は、外で出してはいけない。


しかし、子供が育つにつれ、困ったことがある。

それは、子供が自分の進路を決める時、参考にするのは親の話が多いのではないだろうか。

冒頭の話に戻るが、わたしは普通科ではない高校に進学し、資格をとって、卒業した。

長男が、「お母さんは、どうやって自分の進路を選んだの?」と無邪気に聞いた。

わたしは、「自分で決めたわけではないけど、進学したよ」というふうに伝えた。

長男は、「自分の進学なのに、自分で決めなかったの?」と言った。

わたしの進学先は、親が決めたこと。

親が、親の利益になるためにそうしなさい。と言い、親が考えた嘘の志望動機を書いた。

それ以外の選択肢はない、と親が言ったから、まだ生活基盤の整っておらず、きょうだいの世話が残っていたわたしは、親の指示に従うほかなかった。


思い出したくない過去しかないが、子供に聞かれればゆるめに体験談を話す。

それがいいのか悪いのかわからないが、誤魔化すのも違う気がするし、言わずに誤魔化すのが正解な気もする。

誤魔化すといっても、どうやって?

要領の悪いわたしは、わたしの生きてきた世界のことしか分からないからうまく誤魔化せる気がしない。


長男は、「大変そうなのは、なんとなくわかるよ」と言った。

わたしの父に会うとき、電話が来た時など父に関わる機会があると、違和感があったのだと言った。

遊びに行っても、「よくきたね」などと微笑むこともなく、「なんだ、来たのか」という父。

「おまえらなんて…」と言う枕詞をつけて話しかけてくる父。

すぐ酒を飲み、わたしたちの悪口ばかり言ってくる父。

そうした姿を見て、「普通のおじいちゃん」と呼ばれる人間ではないだろうな、と感じていたという。


極め付けは「子供なんか大人の付属物だ、人間なんかない。ぶっ叩いて言うこと聞かせろ」と言う言葉。


わたしが常々子供たちに掛けている言葉とは真逆の激しく、冷たい言葉を子供たちの前でも普通に使っている姿をみている。


「お母さんは、ぼくたちにやりたいことをやりたいようにやりなさい、って言うけど、お母さんはそうじゃなかったんだよね」と長男。

「そう。

やりたいことが何かなんて考えることができる家ではなかったから、あなたたちには自分のやりたいことや夢中になれることを見つけて欲しいと思ってる。

やりたいことを見つけるって、小さいころから、試して、失敗して、また挑戦して、また失敗して、って繰り返さないと見つからないかもしれない。

だから、きみたちには、親の言うことを聞くいい子にならないでって思ってる。

なんでもいいから、自分の気持ちをたくさんぶつけてきて一緒に悩みたいなって思ってるよ」


わたしがそう言うと、長男は「お母さん、いまは良かったって思えてる?」と聞いた。

わたしは、「いま、お母さんの人生の中で1番しあわせだよ」と答えた。

これはほんとうに本心からの言葉だ。


子供たちが生まれて、たくさん笑って、たくさんの時間を共にして、心の底から笑いあえることばかりだ。

お腹がねじ切れそうなほど笑うって、子供の時にはなかったのに、大人になったいま、子供たちと大笑いしている自分がいる。不思議だなと思う。


長男が、「子供って、1日に200回以上笑うんだって。お母さんは大人だけど、ぼくたちと一緒に笑ってるから、きっと子供と同じだけ、笑ってるね!ウシシ」とニンマリ笑った。

「わらうとキラー細胞が活性化して健康になるっていうし、いいことづくめだね!」と次男が言った。



言葉に出さないけれど、多分、子供たちはわたしの弱さを知っている。

知っているから、きっとこんなにもわたしに優しくしてくれるのかもしれない。


何気ない言葉ややりとりが苦しくなくなるそんな日が来るといいなぁ。


大きくなるにつれ、逞しく育つ子供たちを頼もしいと思う。

わたしの願いは、子供たちが自分の力で生きていける人間になること。

そして、子供たちがそれぞれの人生の楽しみを見つけること。