わたしは人間関係を形成することが苦手な方だと自覚している。
友達と遊ぶことは許されず、家でしたのきょうだいの身の回りのことをしていた。いまでいうとヤングケアラーというやつだったのだと思う。
友達と遊びたい、と思っても、「アンタが世話をしないとしたの子たちがどうなると思うの?」という母のもと、したの子たちを世話することが家族がうまくまわることであると教育されてきた。(わたしの上のきょうだいたちは自由に遊び回っていた)
したのきょうだいのひとりにある病が見つかった時、
「入院させるかどうか決めて」
「大きな手術をしなければ命はないと言われた。手術させるかどうか決めて」
「もし障害が残ったら、わたし(母)は面倒を見切れないからこのままでもいいと思う」などと言い始めた母に、「もしそうなったらわたしが一生をかけて世話をし続けるから手術させてほしい」と訴えたのはわたしが高校の時だった。
母が望んでいるんだろうと思う答えを模索し続けていた。
きょうだいの学校の手続きや病院は、「親」が手続きなどをしなければならず、いつも歯痒かった。
親の機嫌を損ねぬよう…
親に、わたしがベストだと思う選択をしてもらえるよう…
ヘソを曲げられたらいろいろなことが終わってしまう。
そうやって生きてきたわたしは、いま、ママ友社会という場において、「どうしたらいい?」などと聞かれたときにうまく立ち回ることができず失敗していると思う。
ママ友社会では「意見のある人間は叩かれる」などと言われることがある。
出る杭は打たれるというやつである。
わたしはいつも自分の進む先も、何もかも、「こう」決まってしまった事柄については自分自身で解決してきた。
母が決めた進路。
決まった途端、「自分のことは自分で解決して。私(母)は何もわからないし何もできないから」と言われたので自分で先生に聞いたら調べたりしながら解決した。
何かしらの結果を、自分自身で出していかなければいけなかったから、曖昧な返事で濁す、ということがとにかく苦手なのだと思う。
仕事でも、結果を出すために尽力した。
そうすることで上からはきちんと評価されたが、それが正しいことだと思っていた。
しかし、ママ友社会というやつはわたしの考え方ではやっていけないのだとつくづく感じる出来事が多々起きる。
その度にわたしはない頭をフル回転させ、どうしたら良かったのか考えるが、いつも答えが出せずにいた。
あるママさんから「◯◯がイヤだから、一緒に反対意見を出そうよ」と言われた。
わたしは◯◯については別に気にならなかったし、◯◯であることについてのメリットがとてもたくさんあると感じてたので、◯◯であることで助かる人がたくさんいると思うなぁ…などと言ってしまった。
ちなみに、ママさんが◯◯であることがイヤな理由は「見た目がダサいから」。
ひとりだけそれをしないという選択もできるのだが、それはイヤ。やめるならみんなでやめたいから協力してほしいと頼まれてしまった。
代わりの案は、特にないという。
それで助かっている人がいると思ったからそう伝えたが、ママさんは、「私は別に利用したことがないから必要性を感じない」と言った。
こうして少し気まずい空気のまま解散となった。
わたしは、どう答えていたら良かったのだろうか…。
ママ友付き合いのとても上手なママ友がいる。
申し訳ないと思いつつ、こういう時、ママ友ならどう答えるか教えてほしいとお願いした。
ママ友は、自分の意見と違う意見を強く主張してくる人には…その場ですぐ答えを言わないようにしている、と言った。
「考えておくね」と言ってとりあえずその場でその話を切り上げるようにする。
後日、おなじことを聞かれた時は「考えたけど、よくわからなかった!」と答えるのだと言った。
そして、自分と違う意見をごり押しされそうになった時は「自分にはよくわからないから、お任せします」と答えるそうだ。
それを聞いた時、本当に、身体から力が抜けるような気持ちになった。
そんな処世術があるだなんて目から鱗が落ちる思いがした。
したのきょうだいの病も、きょうだいの進路も、何もかも「お任せ」されてきたわたしは、ひとに「お任せします」なんて言ったことがなかったことに気がついた。
わたしが決断しなければこの子がどうなるか知らないよ、と言われ、全責任はわたしにあるとプレッシャーをかけられていた。
そんなふうに、曖昧かつ、柔軟に受け答えができるだなんて、このママ友は本当にすごい人だと思った。
ママ友社会に馴染める人には理由があるのだと知った。
そして、40歳を過ぎているにも関わらず、こんなことすらわからず、他人のママ友に助けを求めてしまう自分を情けなく思った…。
仕事の上司は男性だった。
結果を出せば評価してくれた。
結果を出せるよう独学で勉強し、自分なりに考えて真面目に働いてきたつもりだ。
するとさらに仕事を任されるようになった。
それを面白く思わなかったのか、勤続年数の長い人からの当たりが強くなった。
生意気だと言われた。
通り過ぎる時に後ろからぶつかってきたり、わざとドアや机を叩いたりしてきた。
上司や周りの人は、気にしない方がいい、と言ってくれたがわたしはしんどかった。
真面目に働くことでこんなに嫌われる理由がわからなかった。
出る杭は打たれる。
真面目なだけが良いわけじゃないと思うが、お金をもらっている以上、結果を出したかった。
その人は、その時間なんとなく働いていればお金がもらえるんだから、必要以上に頑張る必要はないという考えの人だったからわたしとは考え方が合わなかったに過ぎない。
夫にこの話をしたところ、「女性ならではの対処法だと思う。すごい。」と感心した。
会社で「任せた」という言葉を使うときは「仕事を任せるとき」くらいしか使わないのだという。
わたしも夫と同じ意見だった。
「女性社会ではそうした柔軟で曖昧な対処法が必要なんだろうなぁ、さすがだね」と言った。
ママ友は、姉妹で、女子高出身だと言っていたような気がする。
女の人のたくさんいる環境に身を置いてきたひとだからこその説得力があった。
わたしも頑張らねば…。