元旦から次々と入るニュースを子供たちと見る。

凄惨な状況だけど、子供達にはしっかりと説明をする。

普段からニュースを見ることの多い我が家は、事件も災害も、その時身近に起きていることとして一緒に考えることにしている。


子供たちとともに、防災の意識をすり合わせる。

もし、家族がバラバラなときに災害に見舞われたら、どこに集まるか。

寒い中で避難をする方々を見て、寝袋を買っておこうか。(普段はきょうだいが泊まりにきた時の布団や、旅行の時のブランケット代わりとして使える)

こんなとき、どうする?と当たり前に話し合える家族でいられる幸せを噛み締める。




人との繋がりが大切だと感じながらも、年々少なくなってゆく年賀状のやりとり。

我が家も少しずつ少なくなっていく。

が、引っ越しばかりだったわたしは、年賀状でしかやり取りをしていない層がある。

コメントを添えてくれる友達が残り、お互い簡潔に一言添えたハガキを送り合う。

そんな付き合い方も悪くないのかもしれない。


わたしはそうして年賀状を減らす方向で動いているが、子供たちには逆に年賀状を書くことを勧めた。

長男は学校の担任の先生へ、次男は幼稚園の担任の先生へ。

なんで書けばいい?

どうしたらいい?

なんて言いながらも、長男は一生懸命、丁寧に年賀状を書いた。

わたしの子供の頃は、冬休みの課題の一つに学校の先生へ年賀状を出すというものがあり、先生の住所は公開されていた。

今は特にそうした課題はでないらしいが、今年の先生には特にお世話になっており、不登校気味だった長男が学校を楽しい!と感じながら通えるようになった先生に、感謝の気持ちも込めて送ることにした。

先生の自宅住所は分からないが、学校宛てに送り、休み明けにでも受け取ってもらえたらいいね、なんて会話をしながら。


なにを書けばいい?と迷った長男に、年賀状の書き方見本を見せ説明をする。

長男は自分の言葉と自分の絵で、先生への感謝を伝えていた。

昨年までは気恥ずかしさが勝り、促しても書くことができなかった年賀状。

今年は気はずしか思う気持ちに打ち勝ち、書くことができた。

もしかしたら迷惑かな、と思う気持ちがないわけではなかった。


返事を求めるような文や、先生が不快に思う文ではないか。

長男は、

あけましておめでとうございます

昨年は勉強を教えて来れてありがとうございました

今年もよろしくおねがいします

とだけ書き、竜の絵を描いた。


長年、たくさんの生徒を教えてきた先生だ。

返事はないのが当たり前。

そんなの当たり前だよ!と長男は言った。

普段はなかなか言えない感謝の気持ちが先生に届くといいね、と言いながら投函する。


これから廃れてゆく文化なのかもしれないが、本当に感謝を伝えたい相手にはこうした伝えかたがあっても良いものかもしれない。


返事はまったく期待していなかったところに、先生から返事の年賀状が届いた。

長男は大変な喜びようで、ニンマリ笑ってビニール袋に入れ、宝物箱に収納した。


1枚のハガキが、長男の宝物になった。

それもまた素敵な思い出のひとつかな、と思った。