発達障害? | 8manのブログ

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妻を亡くして1年後、50歳となり、始めたブログ。息子も中学校を卒業し、高校生になりました。
ランクル60 、HARLEYなど仕事も遊びもしっかり楽しんで、今後の人生を歩んでいこうと思ってます。

冷たい雨が1日降ってましたね。

風も強くて、ちょっと外に出るとずぶ濡れになりそうな降りかた。

明日は暖かくなるというから、今日よりは過ごしやすいのかな?

 

毎日、けっこう真面目に働いているんですが、

なかなか終わりが見えないものですね。ちょっと疲れてきます。

 

真面目に頑張っていれば、きっといいことがある。

こう言われ続けて、これまで頑張ってきたわけですが、いったいどのくらい頑張ればいいことに巡り会えるのでしょうか?

そう思っていることが、いいことを逃してしまうんでしょうかね〜。

 

時間に追われると

思うように仕事が進まない気がします。

 

子供は偉いですよね。

嫌でも、時間割に従って勉強してる。そして、この時間割に従えない子は異質な者として見られてしまうわけです。人と同じことができないと、今は「発達障害」というらしいです。

 

子供の年齢相応に心が成長していないのは、障害だというわけです。

じっとしていられない、心をコントロールできないなどさまざまな状態がそれに当てはまるらしい。

 

昔なら、ちょっと変わった子…ですんでいた子が「発達障害」と言われる。

 

この言葉って不思議ですね。

 

私だって、同じ年齢の人と同じようにできないことが、結構ある。それも、発達障害?

 

あの子は好きなことは集中してやるけど、そうじゃないことは気持ちが散漫になっちゃうって、それは誰もそうじゃないの?

 

ただ大人はそれでも、我慢してやっているだけ…。子どもが我慢できないことって当たり前といえば当たり前ですよね。

 

それなのに、子どもたちを時間割というスケジュールで縛り付ける教育に対して、誰も疑問を持たない。もしくは、気づいているけど、変えられない。

 

時間割通り動く子ども。それって、ある意味ロボット?

工業化を進めている教育であれば、その方法は良い方法だったかもしれません。誰もが、与えられた決まりを守って、規則通りに動くことで、工場のラインを動かしていくわけですから、それを守れないってことはダメなのです。

 

けれど現在は、高度情報通信社会であり知識基盤社会であるのです。

知識はインターネット上に散乱していて、その情報は誰でも目にすることができる。

求められていることは、その情報、知識を利用して、ひと、もの、こととかかわりながら、新たなものをつくりあげる力ではないのでしょうか?

 

子どもたちの成長は画一的ではありません。

それぞれが自分の成長速度を持っているはず…。つまり、その子にあった成長のスピードがある。大人が自分たちのペースに子供達を引き込むのではなくて、子どもたちのペースに合わせて教育することができれば、そういう社会が形成されれば、「発達障害」という言葉は無くなるはず。

 

この言葉は、画一的な人間(統制された人間)を育てようと社会がしているから生まれる言葉。教科書通りの子供を育てようとするから生まれる言葉。

 

この言葉があるおかげで、心を痛める親もいるでしょう。

障害…。重い言葉です。

 

けれど、本当に障害があるのは、人と同じことができない子供を、障害と認識するしかない社会や学校システムではないんでしょうかね。

 

日本の学校制度はそろそろ変わらなければならない。

新たな教育観を持たなければ、廃れていくような古い組織になってしまう気がしますね。

 

子供たちの個性を伸ばす…。

人同じことをさせることが大切なのではないですかね。

学ぶことが楽しい、考えることが楽しい…そう思えるよう学習する意欲を育てることこそ、学校にとって必要な考え方なのではないですか?

 

好きなことを一生懸命やる。その次に、やらなければならないことをできるようにする。

我慢しなければ好きなことができないと思うから、苦しい。

 

子供なんですから…。大人が見て必要と思うことを子どもに必要だと感じさせられないとしたら、その教育は間違っているのかもしれません。

 

そして、みんな一緒じゃなくてもいいことを教えることこそ、

学校という社会の中で、子供たちに伝えられれば、発達障害なんてなくなるのになぁ。

 

 

ある新聞記事を見ながら、珍しく教育や学校について考えてしまいました。