子どもは子どもの人生 | 適応障害の娘

適応障害の娘

中2の娘はエニアグラムタイプ5研究家。ASDっぽいケドなんか違う。母が思うに多分ギフテッド。
中1夏休み明けに適応障害に。精神科受診、私立中学退学、公立中学への編入、フリースクールの日常など。

最近、とある本を読んでいて
『あ、これワタシの事だ!
てゆーか
こういう人、多いんじゃない?』
と思ったことがありました。

それは
『世の中には
自分の人生経験を統計的にとらえて
あれは正しくて、
これは間違っているというように
物事のプラスの面と
マイナス面ばかりに
注目する人がいます』
という内容でした。

…あぁ、これワタシ!!
自分がこういう人生を歩んできたから
娘も中学受験をして
高い偏差値の大学を目指せ!!
みたいな。

で、本の続き。
『しかし、そのような状況は
良い影響を与えない。
それどころか、望む方向とは正反対に働く。
なぜなら、
自分にとって良い状況を作り出す事よりも
この世界にいる人々を分類する事が中心になってしまうから。』
と書いてありました。

わーぉ。

私も
娘が学校(私立の女子校)に通えなくなり
適応障害の診断を受けた時、
『娘はこんなタイプの人間』
って
分類に躍起になってました。

そしてそれは
全くと言っていいほど
私自身の状況を改善しませんでした。
(結局、つまるところ
『子ども本人がどうしたいか?』
です)

相手を変えることはできない。

それよりも
『自分がその事に関して
どう意味づけするか、
どう捉えるか』
が大事らしいです!!

(↑例えば
『適応障害か…
ふむふむ、
娘に到底合いそうに無い
この学校(私立の女子校)とおさらばして
娘が本当にやりたいことをやれる
学校を探す良い機会じゃ!!
親子ともに視野を広げる大チャーンス!』
と思うとか…??ww)

(↑いやいや、
実際、当時ワタクシ
全くそんなポジティブな心境じゃなかったっス)

本には
『他人の自由に干渉する事は
自分の自由を失うこと』
とまで書いてありました。

なるほど…  

まぁ、
子どもは子どもの人生ですからね…
子どもの自由ですよね…

子どもが
学校(この場合は私立の女子校)に
行く、行かないは
子どもの自由であって
私自身の幸せに
影響を及ぼすものではないのです。
本来は。

『私自身の幸せに影響する』
と思い込むから
子どもの言動が気になって
イライラしたり監視してしまうのです。
(つまり、子どもの自由に干渉すると
私自身の心の自由を失う)
関係無いのです、本来は。

私は私らしくいていいし、
子どもは子どもらしくいて良いのです。
その方が皆、幸せになれる気がします。

これ不登校とか
それ以外にも
世の中のいろんな人間関係の問題にも通じるかも…
と思いました。