2016年に米系メディア企業を退職してから、私は内外主要メディアを定期購読する気にならない。気候変動を認識しない編集長が率いる経済紙の出版会社を退いてからは、読者の反応の鈍さなどを口実に多くの報道機関が問題を取り上げないことに苛立ちや不安を感じた。

 

パンデミックを通じて格差拡大の構図を改めて痛感した昨年の米大統領選では、気候変動への国際的取組で主導権を取り戻す意向を持つ候補が選ばれた。人類にとっては、気候変動による壊滅的な影響を回避する取組への大きな障壁が取り除かれた。

 

マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツ氏は今年、気候変動への対応に関する新著を発表した。科学者が早くは19世紀後半から警告していた問題をこのタイミングで取り上げることについては懐疑的に見ることもできる。太陽光の遮蔽や原子力などの新技術の開発は、ゲイツ氏自身や妻と手掛ける財団の投資対象でもある。世界が脱炭素化に向かう中、潤沢な資金力を有するゲイツ氏は新技術を巡る議論に多大な影響力を発揮するだろう。

いずれにせよ、ゲイツ氏は、世界がゼロカーボンを目指す以外に選択の余地はない、と認める一方、新技術や政治的決意への国際的な合意を取り付けることが容易でないことを指摘している、とクライメート・ニュース・ネットワークは伝えた。

ソフトウエアの分野で長年活躍したゲイツ氏は、2000年代半ばから気候変動について調べるようになった。その数年後には、気候危機を回避するためのネットゼロカーボンの達成、太陽光や風力など再生可能エネルギー導入の促進や改良、ネットゼロカーボンを達成するための画期的な技術の開発と投入、という3点の必要性を確信したという。

 

また、自身のブログgatesnotes.comでは「グリーンプレミアム」の概念に触れている。例えば、航空会社がジェット機の燃料をゼロカーボンのバイオ燃料に代えることを検討すると、140%のコスト増に直面する。この数値がグリーンプレミアムにあたるもので、これが大きければ大きいほど当該分野における排出削減が困難になる。それでも、鉄鋼、セメントなどで厳しい対応を余儀なくされることなくして2050年までのネットゼロカーボンの達成は難しい、としている。

ネットゼロカーボンを目指すにあたり、失業などの困難に直面する人々への対応も重要になる。この点でジャスト・トランジション(公正な移行)という考え方がある。たとえば、石炭、石油など化石燃料事業に関わる人の中には、適応策が進む中で職を失うものも出るだろう。さらに、数十年の格差拡大やさまざまな差別などに苦しんだ世界の人々に配慮した移行は、様々な困難を克服する上で欠かせない支持を左右することになる。

 

移行を迅速かつ円滑に進めるには、人々の不安、懸念を緩和、解消するようなセーフティネット、制度の導入が肝要だ。雇用はテクノロジーの進化による自動化、ロボット活用の促進などの逆風も関わる複雑な課題でもある上に、パンデミックによる苦境が長期化、収拾のめどが立たないことも重なり、現金給付や雇用保証などの対策を講じることが多数の生命を左右し得る状況にある。

 

米国では4年ぶりに政権を握った民主党が上下院でも実質的に多数政党となった。ドナルド・トランプ氏を破る形で新大統領に就任したジョー・バイデン氏は、パリ協定への復帰を早々に表明した。

 

これはオバマ政権時の気候変動に関する国際的合意への復帰を意味するが、そこには化石燃料業界、企業を巡る論調や資金の流れの変化という背景もある。ジョン・ケリー元国務長官が米国の気候変動担当に任命されたことは、トランプ政権時に失った気候変動を巡る国際的取り組みにおける主導権を取り戻すための同国の決意を示す。バイデン政権は先月、中国、ロシアを含む主要国首脳に今月下旬にオンライン形式で行われる気候変動サミットへの参加を呼び掛けた。

気候変動を巡る米国の国際的「復権」を目論むバイデン政権だが、トランプ政権時の「逆噴射」を経てすんなりと主導権を取り戻せるかは不明だ。なにしろ、海外に目を向ける以前の問題として、民主党内は一つにまとまっているとは言えない状況にある。

 

このところ党内で気候変動対策に熱心だったのは、2019年に経済対策を含む包括的な決議「グリーン・ニュー・ディール」を提唱した急進派だ。20世紀前半の大恐慌を経たニュー・ディール政策にならい、再生可能エネルギーや資源の省力化、格差是正など現代の懸案を盛り込んだグリーン・ニュー・ディールだが、バイデン氏を含めて党内で全面的な支持を得ているわけではない。

党内を分断する2つの勢力に関して、バイデン氏の立ち位置は微妙であるようにも見える。党の大統領候補を決める予備選では、左側でサンダース氏という有力候補が当初から存在感を示したのとは対照的に、エスタブリッシュメントは本命を定めることに苦戦し、その対象はカマラ・ハリス上院議員(現副大統領)、ピート・ブティジェッジ氏(現運輸長官)などに絞られる紆余曲折の局面を経て、「優勢のサンダース氏を破るためにはトランプ勝利もやむを得ない」とのレトリックさえも聞かれた大詰めの段階で一気にバイデン支持に動いた経緯があった。

 

こうした一連の流れに関しては、バイデン氏の幸運さを指摘する向きもあり、バイデン氏に関する最近の書籍のタイトルも「ラッキー」となった。しかし、中道派の支持をなかなか得られなかったバイデン氏の心中にラッキー以外のものがあったとしても驚くに値しない。バイデン氏はニュー・ディールを進めたフランクリン・ルーズベルト大統領にしばしば言及している。

これまで気候変動対策が遅々として進まなかった背景には、エネルギー大手など消極的な勢力や、その影響力を無視できない主要メディアがあった。ゲイツ氏とほぼ同じタイミングで気候危機に関する新著を発表した言語学者、哲学者のノーム・チョムスキー氏と経済学者のロバート・ポリン氏は次のように述べている。「ネオリベラリズム(新自由主義)では、政府は巨大企業による利益追求を最大限に許容する半面、大企業の利益が脅かされる場面ではその救済に乗り出す。これは資本家のための社会主義、その他の者のための厳しい市場資本主義につながる」。

 

チョムスキー氏らは、石油会社による気候変動への対応の経緯はネオリベラリズムに関する典型的なケーススタディとして位置づけられるとした。

 

また、気候学者マイケル・マン氏の今年の新著は、エクソンモービルの科学者が1970年代に昨今の異常気象に関して警告していたことを示す文書が最近公開されたことを指摘、1990年代半ば以降の否定派との「気候戦争」の様子をつづっている。

 

米国の政治資金に関する直近のデータは、主な出資者が金融、エネルギー企業からテクノロジー企業などへシフトしたことを示す。また、トランプ政権の4年間で世界の多くの機関投資家が化石燃料企業からのディスインベストメント(投資撤退)を決めた。バイデン政権に対しては、若い世代を中心に多くの支持者が変化を促す政策の推進へと舵取りを切ることを望んでいる。

お金の流れの変化もあって、異常気象への対応を盛り込んだインフラ投資や再生可能エネルギーの投入加速だけでなく、雇用創出や格差是正を含む包括的対策を推進しやすい政治環境になった。しかし、長期的には、画期的な技術への投資や格差是正を盛り込んだグリーンエコノミーへの移行に必要となる巨額の財源を確保するのに、膨張する世界の軍事費を縮小できるかが成否を分ける可能性もある。この点では、国別の軍事費で2位の中国の3倍にのぼる米国における「安全保障」から外交への重点シフトがカギとなる。

気候変動に関する国際的取組は、2大排出国である米国と中国との連携、競争が中心になる。トランプ政権時の貿易戦争が象徴するように、米中関係は引き続き緊迫しており、オバマ政権以前のような状況に戻ることは考えにくい。5Gやキャッシュレス決済など先進分野においても、中国の存在感が拡大すると予想される。

 

中国が数年後に世界最大の経済国になることは必至だが、米国が競争力を維持、強化するためには、従来のように企業の利益至上主義を優先する代わりに、民主主義の基軸としての存在感を示すことで国際的な支持を得ることも重要だ。内外の格差を是正しつつ、気候変動における国際的連携を推進するシナリオが望ましい。